山の中に現れた石の壁。キチンと並んでいます。
これは福岡県行橋市とみやこ町の境にあるホトギ山(御所ヶ岳)にある、古代山城の
遺跡・御所ヶ谷神籠石(ごしょがたに こうごいし)です。
上記写真は、その御所ヶ谷神籠石の中門の石塁で1300年以上に建設された石積で、高さ7mです。
中門は、上から見るとこんな感じです。
(神籠石とは)
「神籠石(こうごいし)」とは、山中に列石や土塁、石塁で囲いを作った遺跡のことです。
現在、北部九州から瀬戸内海沿いの地域にかけて、16ヶ所が確認されていて、いずれ敵の侵攻を見張り、また妨害するために古代の官道を見張りやすい位置に築いたとされています。
そのため、この御所ヶ谷神籠石も、北麓約1.5kmに大宰府と京都平野をつなぐ古代官道があります。
(御所ヶ谷神籠石の概要)
御所ヶ谷神籠石は、自然の地形と約2kmに渡る土塁や石塁で固められている要塞です。
場所が広いので全体像を知るために行橋市教育委員会が発行しているパンフレットに
書かれている全体像見取り図を紹介します。
さらに御所ヶ谷神籠石の推定復元図も紹介します。
城門跡は7ヶ所が確認されています。 敵を射撃しやすくするために城門の両側の土塁線を外に張り出したり、敵の侵入を妨害するために城門内にも土塁を設けられています。
この土塁は、板で枠を作り土を入れて突いて固めながら積み上げる「版築」という技法が用いられています。 この技法は中国大陸や朝鮮半島から伝わった技法です。
山の頂からの眺望です。遠くまで見晴らすことができました。
(景行天皇仮の御所という伝承)
遺跡のほぼ中央の見晴らしのいい高台に、景行天皇を祀る神社があります。
この地には、日本武尊(ヤマトタケル)の父とされる景行天皇が、熊襲征伐の際に立ち寄って、仮の皇居を設けたとの言い伝えがあります。
祠がありました。
そのすぐ横には、古代山城の建物跡と推測されるものがありました。
礎石があり、その中央には上記写真とは別の祠がありました。
「景行天皇の石祠と礎石建物跡」と案内されていました。
(7世紀後半に建造)
663年に日本と百済の連合軍は唐・新羅軍に白村江の戦いで敗れます。このとき大和朝廷は、大陸からの侵攻に備え九州北部や瀬戸内沿岸に山城を築きます。この御所ヶ谷神籠石がその防衛目的で築かれた山城の一つかどうかははっきりしませんが、その技法から、その時代に築かれた古代山城の一つのようです。
周辺遺跡の紹介です
【行橋市役所公式HP 御所ヶ谷神籠石】
<<御所ヶ谷神籠石への行き方>>
・日豊本線「行橋駅」より太陽交通バス「勝山新町ゆき」約20分、「津積(つつみ)」バス停下車で徒歩 約2km
車で行く場合は東九州自動車道
・行橋インターチェンジより 約25分
・今川パーキングエリアより 約20分
駐車場はありますが、そこからかなり山道を歩きます。登山と言う感じです
住所:福岡県行橋市津積
古代の山城・御所ヶ谷神籠石は、
なんとも立派な造りでした。