日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

MENU

藩の財政を支え、お札まで発行していた豪商の門・旧飴屋門(福岡県行橋市)

f:id:reiwa00502:20220404174637p:plain

この写真は江戸時代に、豪商が発行し流通していたお札です。

「飴屋札」といいます。

この飴屋札を発行していたのが福岡県の小倉藩の豪商飴屋です。

現在の福岡県行橋市には、飴屋の門が残っています。

これです。。大型時代劇で出てくるような素晴らしさ!!

f:id:reiwa00502:20220404154228p:plain

小倉藩藩主を迎えるために建てた門で「御成門」と呼ばれています。

門は天保年間(1830~44年)頃に建てられたそうで、本瓦葺き。

幅5.8m、奥行2.2mの総檜造りです。

 

(豪商飴屋)

飴屋は江戸時代、宝永年間(1704~1711)頃から栄えた小倉藩屈指の大豪商で、同時に小倉・小笠原藩十五万石の財政に尽くしました。

飴屋は、江戸時代の1666年に創業し、1709年、三代目の彦右衛門・宗利(そうり)が、飴を作ったら、その飴が大当たり!!

当時の飴はベタベタして歯切れが悪かったのですが、宗利が作った飴は、口当たりが

さっぱりして評判になりました。そして商品を屋号に変えました。

 

下は、飴屋があった周辺地図です。その地図を見ると、川に面した場所には飴屋の倉庫が並んでいたのがわかります。

飴屋は、すぐ近くに川が流れ街道もあるため、陸路や河川を利用し近辺から物資を

集め、大坂など上方に運び商売を拡大していきました。 

f:id:reiwa00502:20220404173703p:plain


さらに飴屋は飴以外にも綿実(油の原料)商、酒造業などにも乗り出し総合商社のように発展します。

 

快哉楼)

飴屋の敷地内には天保年間に建てた三層四階建ての「快哉楼」という建物がありました。
当時、小倉藩では、身分の低い町人が武士を見下ろすのは無礼であるという理由で、

百姓や町人の住宅は、二階建ても許されなかった時代でした。

しかし飴屋は例外で認められ、内部には絵のアトリエまで備えたそうです。

f:id:reiwa00502:20220404174008p:plain

 

さらに時代が進むと、飴屋は苗字帯刀を許されて、玉江の姓を受け小刀を帯びることが許可されるなど、武士ではないものの武士並の資格を与えられます。

 

殿様が、領内視察をするときには、飴屋が本陣となりして、屋敷内には殿様を迎える

「お成り座敷」がありました。

ちなみに快哉楼は老朽のため、1946年(昭和21年)頃、解体されました。

 

(紙幣発行)
飴屋の繁盛を示すものとして「飴屋札」があります。

f:id:reiwa00502:20220404160028p:plain

この「飴屋札」は、飴屋が発行していた紙幣で、飴屋があった行橋を中心とする

豊前京都郡一帯に通用していました。

札には「京都郡行事住 飴屋」の屋号が刻まれています。
藩が発行する藩札と違って、この飴屋札は版元である飴屋の信用が支えです。

・・ということから、飴屋が、いかに繁盛し、また信用が高かったかがわかります。

この「飴屋札」は、天保年間に3回発行されています。
額面は、当時の正貨である銀を見合いにして、十匁(もんめ)、五匁、一匁、五分、

三分、一分、と、他の商人札(銭札)よりも高額になっています。
私札の流通は、1855年10月まで約20年続きました。

 

(明治初期の長者番付にも登場)
1872年(明治5年)に発行された「大日本持丸長者鑑(もちまるちょうじゃかがみ)」と言う金持ちを紹介する本に、三井八郎右衛門、住友吉次郎とともに「飴屋」の小倉・

玉江彦右衛門の名があります。

 

ということですごいお金持ちだったということがわかります。

f:id:reiwa00502:20220404175813p:plain

f:id:reiwa00502:20220404174153p:plain

行橋市役所公式HP 旧飴屋門】

<<旧飴屋門に行くには>>

JR行橋駅より徒歩10分
行橋ICより車で15分

住所:福岡県行橋市行事五丁目5番3号

 

紙幣まで発行した豪商。

なんという財力でしょうか・・

f:id:reiwa00502:20220404155846p:plain