第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)6月20日、アメリカの兵器産業の要ともいえるデトロイトで黒人を中心とした大規模な暴動が起きます。
この暴動、実は当時、アメリカと戦争をしていた日本の人が関わっていたようです。
デトロイトは自動車産業で栄え、職を求めて多くの人々が移住し1920年(大正14年)頃には全米第4位の人口を誇る大都市に成長します。
1941年(昭和16年)に日米開戦が始まるとデトロイトにある自動車工場はそのまま軍事工場となり太平戦争中の米軍を支えます。
そのデトロイトで黒人を中心に1943年(昭和18年)6月20日暴動が起きます。
暴動は3日間に渡り、最期は軍隊が送り込まれ、死者34人・負傷者600人以上の大惨事を引き起こしました。
(中根という男)
この暴動に関与したのではないかといわれるのが日本人・中根中です。
中根は1933年デトロイトにあらわれ、黒人街で活動を始めます。
デトロイトを拠点に、白人が支配するアメリカ政権打倒を訴えて黒人たちを扇動。黒人結社「ディベロプメント・オブ・アワー・オウン」(DOC)などを組織します。
いっぽう、アメリカではひどい黒人差別が続くため、非白人国の日本からきた中根に熱い視線を注ぎ、中根は「小さな少佐」「東洋から来た神」と崇められます。
中根は「日本が欧米と戦争して白人支配の世界を打ち破るから、それに連動しよう」と英語で訴え、支持を広げ、一時は10万人もの動員数を誇ったといます。
しかし実は中根は、日本政府の後ろ楯はまったくなく個人活動で、しかも本格的活動は60歳を越えてからです。なんとも
さらに演説では日本政府や右翼組織・黒龍会との関係を匂わせていますが、これがはったりで実際は何も関係がなく資金も自前で調達したらしいです。
反白人団体を組織し黒人を暴動へと導こうとした彼は、アメリカ当局に見つかり、日本へと強制送還されます。その後、退去処分直前に結婚した黒人の妻を通してアメリカの組織を遠隔操作します。
しかし黒人の妻が活動資金を使い込んでしまい活動が行き詰まります。
中根は組織を立て直すためにアメリカに再び入国しますが1939年に逮捕されます。
(デトロイト大暴動)
中根が獄中にいる1943年6月20日にデトロイトで黒人の大暴動が発生しています。
この暴動には中根の活動や中根の組織が関係していると言われています。
当時のデトロイトは、アメリカの自動車製造の8割を占める重要な拠点でした。そして太平洋戦争が始まると軍事兵器の基地として転用されました。
このデトロイト暴動でアメリカの兵器生産拠点であったデトロイトが3日間機能停止状態になりました。
しかも、アメリカ政府は、この人種差別による暴動が全米各地に広がることを危惧していました。
(明石元二郎になれず・・・)
日露戦争で、明石元二郎が帝政ロシア打倒を画策し諜報活動を行ったことで、ロシア国内で革命暴動が発生し、結果として日本に有利に動きました。
もし中根が明石大佐同様に日本政府の莫大な支援を受け、広範囲にしかも着実にアメリカで黒人暴動工作を行っていたらと歴史が変わっていたかもしれません。
中根以外にもこの時期は、日本政府と協力し黒人暴動の工作をした人に疋田保一という人もいます。
疋田は留学生としてニューヨークのコロンビア大学に籍を置きますが、黒人の文化や芸術に魅せられ、やがて日本政府の支援を受け黒人暴動を画策するものの工作は中途半端で終わったようです。
当時アメリカ社会で大きな課題だった黒人差別、その黒人解放を目的でもし日本政府が本格的に潤沢な資金を使い黒人支援を行い、工作活動が行われていたら。。。
歴史は変わっていたかもしれません。
参考文献)
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