日本は世界唯一の被爆国です。
広島と長崎の2つの都市に原子爆弾を落とされました。
原爆は50万人以上の方々を瞬時に殺戮し
一瞬に都市を破壊し、今も放射能で苦しんでいる方々を
生み出しました。この原爆は国際法違反行為です!
(原爆投下当時の国際情勢)
当時の国際関係や国際情勢を見ると欧米諸国を中心とした帝国主義・植民地主義の時代でした。東南アジアでは日本とタイ以外は植民地でしたが、タイは地理的にイギリスとフランスの緩衝地的な意味での独立国であり、決して軍事強国だったから独立を保っていたわけではなかったのです。
(日本も米国も批准していたハーグ陸戦条約)
その当時は、非戦闘員の殺傷を目的とした攻撃を禁じるハーグ陸戦条約がありました。戦争だからと言ってむやみやたらと人を殺したり街を破壊したらいけない、「戦争にも守るべきルールがありますよ」ということです。
そのハーグ陸戦条約には米国も日本も批准しています。
つまり「その条約に定められた内容は守りますよ」と両国が合意していたのです。
ココは重要ですよ!
(ハーグ陸戦条約25条)
ハーグ陸戦条約の第25条では以下のように記載されています。
第25条:防守されていない都市、集落、住宅または建物は、いかなる手段によってもこれを攻撃または砲撃することはできない。
第二五条[防守されない都市の攻撃] 防守セサル都市、村落、住宅又ハ建物ハ、如何ナル手段ニ依ルモ、之ヲ攻撃又ハ砲撃スルコトヲ得ス。
Art. 25. The attack or bombardment, by whatever means, of towns, villages, dwellings, or buildings which are undefended is prohibited.
この条約に批准したんだから、その国は、敵国とはいえ一般市民が住む都市や住宅への攻撃はいけないんです。これは空襲や原爆投下が該当します。
(ハーグ陸戦条約23条)
また23条では
第23条:特別の条約により規定された禁止事項のほか、特に禁止するものは以下の通り。
- 毒、または毒を施した兵器の使用。
- 敵の国民、または軍に属する者を裏切って殺傷すること。
3項 兵器を捨て、または自衛手段が尽きて降伏を乞う敵兵を殺傷すること。
4項 助命しないことを宣言すること。
5項 不必要な苦痛を与える兵器、投射物、その他の物質を使用すること。
6項,軍使旗、国旗その他の軍用の標章、敵の制服またはジュネーブ条の特殊徽章を濫りに使用すること。
7項,戦争の必要上、やむを得ない場合を除く敵財産の破壊または押収。
8項,相手当事国国民の権利及び訴権の消滅、停止または裁判上不受理を宣言すること。
交戦者はまた相手当事国の国民を強制して本国に対する作戦行動に加わらせることができない。戦争開始前その役務に服していた場合といえどもまた同じ。
・・・要約しますと23条1項では「毒、または毒を施した兵器の使用」を禁じています。放射能という毒を施した原爆はこれに該当しそうです。
同条5項では「不必要な苦痛を与える兵器、投射物、その他の物質を使用すること」、しかし同条5項に書かれた「不必要な苦痛」という表現が実に曖昧で、明確な定義がないため、何が該当するかよくわかりませんが。「不必要な苦痛を与える兵器、投射物、その他の物質を使用すること」を禁じています。これに原爆は該当しそうですね。
同条7項では「戦争の必要上、やむを得ない場合を除く敵財産の破壊または押収」を
禁じています。空襲及び原爆投下による都市破壊がこれに該当するようです。
この2つの点から見て、原爆投下はハーグ陸戦条約に違反する行為である、と言えそうです。つまり米軍が行った原爆投下は国際法違反行為なんです。
(原爆に関する意見)
さて、「原爆投下は早く戦争を終結させるために必要だった」「原爆は、米兵や日本人の命を救うためには必要だった」という原爆が戦争早期解決に役立ったという意見を言う人もいます。
さらに「参戦するソ連に対し優位に立つために原爆を投下した」や「日本の徹底抗戦の意欲を打ち砕くために原爆投下は必要だった」という手段としての原爆使用論もあります。
ではこのあたりを、当時の動きから見ていきます。
2月4日~11日、ヤルタ会談で、ソ連はドイツが降伏した2.3ヶ月後に日本に対し戦闘行為を行うことが約束されました。
4月5日、ソ連は日本に、翌年4月に期限が切れると日ソ中立条約を延長しないと通達します。
4月7日、 鈴木貫太郎内閣が成立し東郷外相はソ連を仲介国として和平交渉を行うことを考えます
5月7日、ドイツが無条件降伏。よってソ連は3か月後の8月8日までに日本に対し
参戦するようになりました。
5月8日、 日本は、首相や外相、陸相、海相、陸海統帥部長が出席した最高戦争指導会議でソ連に和平斡旋を決定し、動き始めます。
この頃から日本は連日米軍の無差別空襲を受けます。各地で焼け野原になり、多くの方が犠牲になります。戦局の悪化の中で、ソ連を仲介とした和平交渉等を模索します。
6月8日、 御前会議で 本土決戦を決定しますが、ソ連を通じての和平交渉は水面下で継続します
6月22日、 天皇が最高戦争指導会議を招集し、終戦工作を指示します
7月28日、日本に降伏を促すポツダム宣言に対し日本政府は、「黙殺」と発表し、
戦争を継続します。
・・・この流れを見れば、 6月に沖縄が陥落したあとも降伏せずに戦い続ける日本に対しアメリカは「なんで日本は戦争をやめないのか?」と疑問に思ったのかも知れません。しかも連日のように特攻機が米国艦隊に突っ込んでくる・・。
まもなく日本本土上陸が始まり地上戦ともなれば米軍に多くの犠牲が出ます。しかも
日本は本土決戦とかまえていますので、まだまだ戦争は長引く可能性が考えられます。
そのような状況下、アメリカは「この戦争を終わらせるにはどうしたらいいか?」と
考え原爆の投下を決断したという考えができるかも知れません。
また、米ソのミリタリーバランスを考えた場合、ソ連に対しアメリカは原爆という武器を持っているよというデモンストレーションのため原爆を使用したという見方もできます。
しかしながら、だといって民間人大量殺戮兵器であり
国際法違反である原爆を使用したことが
不問にされるのはおかしい話です。
(被爆者の観察はしても治療はしないABCC)
日本は唯一原爆が投下された国です。しかも広島と長崎では違う種類の原爆が投下されその被害の様子はABCC(原爆傷害調査委員会)というアメリカが設置した原爆の効用や人体への被害や影響を観察する機関が被爆された方の具合を観察していました。
このABCCは被爆状況を調べるだけで治療行為はしていないのです。
これぞ原爆の人体実験経過観測そのものです。
おっさんは広島や長崎で被爆された方から何人も聞き取りをしています。皆さん、普通の暮らしをしていたのに突然原爆に襲われ、以後被爆者として苦痛に満ちた人生を歩んでおられました。
広島や長崎の原爆の式典にも何度も参加しました。被爆の傷跡も見てきました。
(広島原爆・長崎原爆を今一度考えて見ましょう)
原爆投下で街は拭き飛ばされ、多くの方がなくなりました。
70年以上が経過した今も原爆投下により苦しんでいる方々がおられます。
その方々は戦闘員や兵士ではなく、普通に暮らしていた一般市民です。