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大河ドラマ「どうする家康」 ネタバレあらすじ 23話「瀬名、覚醒」

大河ドラマ「どうする家康」第23話「瀬名の覚醒」。
それではストーリーを見ていきましょう。

(千代と瀬名)
今回はだんだん精神状態がよろしくなくなっていく家康の長男・信康、そしてその母・瀬名の話です。
織田・徳川連合軍は、大量の鉄砲隊を使った戦術で武田軍を撃退します。しかし、その圧倒的戦法を目の当たりにした信康は様子がおかしくなってしまいます。

そんななか、瀬名は、築山にやってきた千代に、長篠で敗れた武田に徳川と和睦を結ぶよう提案します。
しかし、千代は、「1度負けたぐらいで武田はびくともしない。和睦したいのはそちらでは?いつまで織田の手足として戦い続けるのか。岡崎と信康を救えるのはお方様だけ。」と言い返し甲斐に戻っていきました。この2人、静かなる腹の探り合いです。
千代は、武田の穴山信君に、瀬名を取り込み武田と結ぶ内部工作をするよう指示されていました。

 

(信康)

1575年9月、家康は遠江・小山城を攻め、陥落寸前まで追い込んでいましたが、武田勝頼が率いる本陣が救援にやってきました。
この状況をみて家康は撤退を決断しますが、信康は「私がしんがりをつとめます。父上は、先に引き揚げてください」と言って、出て行き戦場で奮闘し勝利をおさめます。
このように最近、信康は荒ぶる気持ちを抑えられないようです。

岡崎城に戻った信康は「見事、しんがりを果たして見せたわ。父上は、弱気じゃ。あれでは、いつまでも武田を滅ぼすことはできんわ。」と言い、それを聞いた妻の五徳も「頼もしゅうございますなあ。お腹の子も殿に似た男の子だとようございます。」と。

さらに信康は、「父上には遠江の方に専念して、ここ岡崎はわしに任せてもらいたいものじゃ。」とも言いました。このふるまいは勇ましい武将に見えますが・・・

 

(二代将軍・秀忠の母登場)

浜松城では、家康の側室の1人・お葉が家康の肩を揉んでいました。家康も武田のこと、信長のこと、信康のことなど色々苦労が絶えないのです。
その後、家康は一緒に台所にある干し柿を取りに行きました。
すると、侍女の於愛が「またつまみ食いして。どうせ、若いおなごをかどわかしに来たんじゃろ。この女たらしが!」と怒り家康の尻を叩きました。
しかし、これは 近視で人の顔の認識が苦手な於愛が、家康を万千代と勘違いしたのです。
これが於愛と家康の出会いでした。この於愛は徳川二代将軍・秀忠の母になる方です。家康と出会って3年で秀忠を産みますが、その10年後、38才でに亡くなります。

 

(手相)
 千代はなんとか瀬名を取り込もうと企んでいました。
ある日、千代は、瀬名の手相を見て「お方様、本当は家康を憎んでおいででしょう?手相にそうでております」と言い徳川家康と手を切るように勧めます。
さらに「家康は今川を滅ぼした人。家康のせいで、両親も幼馴染も殺された。瀬名さんは、家康の顔を見るのも嫌でございましょう。だからこそ、浜松についていかなかったのでは?」とたたみかけます。
しかし、瀬名は「千代さんって、お話を作るのがお上手。」と笑ってはぐらかします。
さらに千代は「いつまで、織田の手先となって戦うつもりですか。岡崎と信康殿を救えるのは築山殿だけと存じます。」と揺さぶりをかけます。

 

(いいがかりで脇から狙う)
瀬名と千代の密会は、築山殿の門番により、五徳に知らされ、信長は五徳からの手紙でそれを知ります。
手紙で事情を知った信長は、さっそく手を打ちます。
しかし、信長が制裁を加える相手としたのは水野信元でした。水野信元は家康の母の弟で、おじさんにあたります。本命ではなく脇から攻めるのが信長のうまさですね。
翌日、信長は水野信元を呼び寄せ、「岩城城の武田軍に兵糧を送っておろう」と、いいがかりをつけ、岡崎城に退くように指示しました。
その後、佐久間信盛は、浜松城を訪れ、「水野信元の処分=殺害は、身内の家康がやるべきかと。上様のお下知であります。徳川殿、家臣はただ主君の命に従うのみ。」と命令します。

この話しを聞いた信康は「父上の伯父上でしょう。なんでも信長様の言いなり。情けない。」と家康を非難します。

 

(叔父を殺害)

信長から身に覚えのない言いがかりをつけられた水野信元は、岡崎城から離れ、大樹寺で久松長家の世話になっていました。
そして水野信元は、大樹寺の墓地を散歩しているところを、万千代や七之助、家康、数正たちに囲まれます。
水野信元は、ここで状況を悟り家康に言います。「裏でこそこそやってるとこういう目にあうぞっていう信長の忠告じゃ。お前の身内にこそこそやっておる者がおるじゃろう。俺が岡崎に入らせられたのは、そういうことじゃ。確かにわしは、お前のことを知らん。けど、信長のことは知っておるぞ。気をつけろ、信長はお見通しじゃ。」
そして水野信元はそう言ったあと殺害されました。

 

(「父は裏切りを許しません」)

岡崎城に戻った、七之助は水野信元の死を瀬名と信康に伝えました。すると信康は「悪いのは、父上じゃ。信長様の犬じゃ。」と叫びます。
信康の妻・五徳は「恐ろしいことですな、わが父は裏切りを許しませんので。母上、我らも気をつけないといけませんね。」と瀬名に言い瀬名を牽制します。


家康は、水野信元の言葉が気になります。
 一方、瀬名は、武田方の千代と会っていたことが、織田に知られ、今回の事を招いたのではないかと心配していました。

 

(精神状態が不安定な信康)

そんな瀬名のもとに、お葉と七之助が於愛を連れてきました。
そして瀬名と於愛がお互いに源氏物語の話で意気投合したことから、瀬名は於愛を家康の側室にすることを認めました。


そのとき、家臣が走ってやってきて「信康が血だらけになっている」と伝えます。すぐに瀬名が駆けつけると、信康は僧を切って返り血を浴びていました。乱心です。
こんな狼藉は城主として信頼を失うと七之助が言うと、信康は自分に逆らう者は斬り捨てると言い出し、七之助にも刀を抜きました。
騒然とする中、瀬名が「五徳と姫が怖がっておるぞ。七之助、この始末は追ってしよう。信康、今日は築山で休んでいったらどうじゃ。五徳もよいの?」と言い鎮めます。

 

(瀬名の決意)

信康は、ようやく落ち着きを取り戻し、ねむりにつきました。
そして目覚めると「あの僧になんと謝れば良いのでしょう。皆が強くなれというから私は、強くなりました。けど、強くなれば私が私じゃなくなりました。いつまで戦えばよいのですか?」と胸の内を明かします。
それを聞いた瀬名は「母には、ずっと胸に秘めた考えがある。もし、そなたがやるというなら母は全力でそれを成すための覚悟はできておる。」と言います。

その翌日、瀬名は門番や侍女など築山の働き手のすべてを入れ替えました。
そして、瀬名は千代に「上の者を呼んでまいれ。大事な話ができる、そなたの頭を。」と告げました。
門番と侍女を入れ替えたことは、五徳や浜松の家康にも知れ渡ります。それを聞いた家康は「瀬名はただ草花が好きなたおやかな妻じゃ」と答えます。

千代は、甲斐に帰り、すぐに唐の国の医師・滅敬殿という人を築山に連れてきました。千代が連れてきた滅敬という唐の医師。その正体は武田の重臣穴山信君でした。
こうして次回に続きます。