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大河ドラマ「どうする家康」 ネタバレあらすじ 22話「設楽原の戦い」

 

どうする家康 22話「設楽原の戦い」。
織田・徳川連合軍と武田勝頼との長篠の戦いです。
では、ストーリーを見て行きましょう。

 

(家族)

岡崎城で、家康と17歳になった長男・信康が出陣の支度をしていました。

信康は「武田の大将の首をとってきてやる。」と気合十分です。

そんな信康を見て瀬名は、嬉しい気持ちと寂しい気持ちが混在します。

 

家康は信康に対して「そなたは前には出さぬ。それは、一軍の将がするべき役目ではない。信長がいかなる戦をするか見て学べ」と言います。家康はいずれ自分の跡をとり徳川を率いることになる信康に戦略を学習して欲しいのです。

瀬名はそんな夫と息子の2人を静かに見送りします。

 

(長篠)

籠城状態が続く長篠城では、奥平信昌が餓死寸前の状態で徳川軍と織田軍の到着を待っていました。

そこに、3万の織田と徳川の兵がくることが伝えられます。
その朗報に長篠城内が、わきかえります。

同時に、その情報は、織田・徳川連合軍と向き合うような形で布陣していた武田軍にも入ります。武田軍の大将・武田勝頼は信長が来たことで闘志を燃やします。
武田軍1万5千、対する織田・徳川連合軍は3万です。

 

(始まらない戦)

しかし、武田と織田・徳川軍は、にらみ合ったままで2日間、動きません。

長篠城では、戦がはじまらないことに苛立っていました。

武田軍も同じです。「馬防柵を作るばかりで全く攻めてこない信長はいったい何を考えているのか」と苛立っていました。

 

戸惑っていたのは家康たちも同じです。

父上、進言に参りましょうと言う信康のアドバイスで、家康は、織田の本陣へ向かいます。酒井忠次は、家康と信長がケンカをすると困るからと付いていきます。

 

家康が織田本陣に着くと、信長と秀吉が囲碁を興じていて、そばには、柴田勝家佐久間信盛が控えていました。

家康が「信長殿、すぐに武田を追い払い長篠城を救うべきと存じます。」と話しても、信長は家康を無視し秀吉との碁を打ち続けます。

柴田勝家は、「こたびは、攻めてでず迎え撃つ作戦と伝えたはずです。」と家康に言います。

家康が信長に戦略を話しますが、信長は碁を撃ち続け、まともに話を聞こうとはせず、無礼な態度を続けます。

ついに家康は「碁をやめんか!」と怒鳴ります。

信長は、静かな口調で「こちらから攻めかからん。俺は武田を追い払いに来たのでも、長篠を救いに来たのでもない。碁を打ちに来たのだ、そんなに攻めたければ、徳川だけでやればよい。」と完全に馬鹿にします。

秀吉は「向こうから、攻めてくる手立てがあればいいんですがなあ。徳川様ならなんかええの思いつくかもしれんな。」とこれまた馬鹿にした様子。

 

(キツツキ戦法)

そこで、家康家臣の酒井忠次が地図を開けて、戦略を説明します。

夜のうちに3,000か4,000の兵を長篠の背後に回らせ、鳶ヶ巣山の砦を落とすという案を提案します。

これはキツツキ戦法です。キツツキが木をつついて驚いて飛び出てきた虫をとらえるように、兵を本隊と別働隊に分け、別働隊に攻めさせ、敵軍が驚いて出てきたところを本隊が迎え討ち、別働隊と前後で挟み撃ちにするという作戦です。

 

ダチョウ倶楽部??)

徳川陣から、作戦を聞いた柴田勝家佐久間信盛羽柴秀吉が、それぞれその戦は自分にやらせてほしいと名乗りをあげます。

信長は家康も志願するよう目で促し無言の圧力をかけます。そこで、家康は、我が徳川にと、しぶしぶ言います。

そこで信長は、俺の家臣にはやらせられないが、俺の家臣じゃないやつがやる分には、やぶさかではないと家康にその役目をやらせます。

どこかで見た光景・・・そう これは有名なダチョウ倶楽部作戦です!!

信長は、家康に「自分から言い出したからにはやり遂げる自信もあるだろう」とも言います。

信長は、わざと家康に策を言わせて、自分たちでそれをやらせるように仕向けたのです。

(えびすくい)

信長陣を離れた後に、家康は「クソみたいな芝居じゃ!」と捨て台詞をはきます。

自陣に戻った家康は、誰がおとり役をするかと話し合います。

信康、平八郎、数正・・が名乗り出ますが、「夜の移動じゃ。このあたりの地を理解していないと、この役目は無理じゃ。これは、わしの役目じゃ。」と酒井忠次が志願し決まります

家康、信康、そして家臣団が「死ぬでないぞ」「死んではならんぞ」「死んだら承知しませんぞ」「死なんでくだされや」と声をかけるので酒井忠次は、「かえって死んでしまいそうじゃ。もっと景気よく送り出さんか!」と言います。
そして皆が酒井忠次のことを励ますために「えびすくい」を歌いだします。複数のおっさんが全員で大声を出して踊る海老すくい・・・異様な光景です。

 

(勝頼どう動く?)

その夜、武田勝頼に、織田徳川軍の戦略=背後の鳶ヶ巣山を落として、長篠を救うと同時に、後ろから我らを押し出し、正面を突っ込ませる戦略の報告があがります。
このへんの武田軍の情報収集能力は素晴らしいですね。

知らせを聞いた武田の家臣たちは、織田は1,000を超える鉄砲を持っているので退路を絶たれる前に引くより他はないのではないか  と考えます。

 

一方、信長は、勝頼がどう動くかに対し、「並みの武将なら引くだろうが、勝頼はどうするか…お手並み拝見」と、その動向に注目していました。

 

(勝頼の決断)

援軍を待ち籠城を続けている長篠城で、待ちくたびれて奥平勢が力尽こうとしていた、そのとき、鉄砲の音が聞こえ始めます。酒井忠次の襲撃がはじまったのです。そして鳶ヶ巣山が陥落しました。

鳶ヶ巣山砦が落とされた知らせを受け、武田軍の穴山信君は、勝頼に引き揚げを提案します。

しかし、勝頼は引き揚げる下知を出すません。

勝頼は、信玄の言葉を思い出します。「そなたの器量は、わしをしのぐ。わしが言うんじゃ、信じよ。わしのすべてを含んだ逸材じゃ。」・・・。

そして、勝頼は家臣に「父・信玄ならどうするか」と聞きました。

家臣は「 間違いなく引く、信玄公は勝ち目がない戦はしなかった。」と。

その通りじゃ。だから信玄は天下を取れなかった。手堅い勝利を100重ねようが、1の神業には及ばぬ。

決断した勝頼は、陣を出て大勢の兵の前に行きこう言います。

「間もなく逃げ道がふさがる。ただちに退くのが普通だ。だが、このまま退いていいのか。目の前に、信長と家康が首を並べている。このような舞台は、もうないぞ。血が騒がぬか。お前たちは、一人で敵兵2人、3人を仕留めることができる。鉄砲の球など、しょせんは石ころ。お前たちを止められようか。命長らえたい者は逃げればよい。だが戦場に死して名を残したい者には今日よりふさわしき日はない。」と、
さらに空にできた虹を指差し、吉兆なりと叫び「我が父が申しておる。武田信玄を超えてみせよと。わが最強の兵どもよ、信長と家康の首を取って見せよ。お前たちの骨はこのわしが拾ってやる!」と。

この演説で武田軍は、一同、雄たけびをあげます。

勝頼の言葉に心を動かされた山県昌景は先陣を申し出ます。そして勝頼の号令で、
武田兵たちは織田・徳川連合軍に向かっていきました。
ここは勇ましいのですが、大群を率いると大将なら、冷静な分析が必要でしたね。

(信長の魂胆)

一方、鳶ヶ巣山砦を落とした左衛門尉は、長篠城の奥平のもとへ到着します。こうして長篠城の籠城は持ちこたえました。

 一方、徳川の本陣には、信長や秀吉がやってきました。最前線に近い徳川の本陣のほうが戦況がよく見えるという理由からです。

信長は、「なんのためにここに来たのか。教えてやる。武田を追い払うためでも、長篠を救うわけでもない。俺は、武田を滅ぼしにきたんじゃ。よく見とけ、これがこれからの戦よ。」と言います。

織田軍は鉄砲を3000丁用意しているといいます。

迫ってくる武田軍に対し 織田軍はほら貝の音を合図に、馬防柵の間から一斉に鉄砲を撃ちます。
この射撃が、撃ち終わると次の列にいる兵が前列に行き射撃をし、打ち終わると、また入れ替わりすぐに射撃をするというくローテーション方式で、途切れることがない。連続射撃です。この方法で武田の兵は次々やられていきます。

この恐ろしい光景を目の当たりに家康、信康、万千代は息をのみます。

秀吉は「もはや強いだけでは勝てん。銭持っとるもんが勝つんだわ」と笑います。

信康は家康に「これは戦ですか?」と尋ね、家康は静かに「なぶり殺しじゃ」と答えます。

 

武田軍で先陣を切った山県昌景は、連続射撃で絶命し、近くには、たくさんの武田兵の亡骸ができます。

ここで脱線話。

 

(多数の遺体は誰がどう処理するの?)

戦国時代は、日本各地で大名たちが戦を繰り広げられましたよね。戦がおきると、勝者でも敗者でも必ず多数の死傷者が出ますよね。人の畑や田んぼなどが戦場になると遺体がその辺にでますよね。それだけの数の遺体は誰がどのように処理していたのか気になりませんか?

そこで調べてみました。合戦が終わると地元民などが、
その後始末をしました。鎧などは取り外され中古品として販売し、死亡者に対しては、その地の領主などが首塚などを建て焔っていました。

また、戦国大名には、戦死者の埋葬、供養を担当していた黒鍬組(くろくわぐみ)いう部隊がいました。この黒鍬組は、本職は、陣地や橋などを製造する工兵部隊ですが、遺体の埋葬も行っていました。僧侶が戦場に派遣され、戦死者の供養を行うこともあったそうです。

一方敗者の場合は、黒鍬組自体がいなくなるため、遺体はそのまま放置されてしまうことが多かったそうです。

(大敗北)

さて、話は、長篠の合戦に戻ります。

本陣にいる勝頼は、目の前で起きた大惨事に言葉も出ません。戦場には、武田軍の死体が並ぶ中、武田勝頼は、戦地を後にしました。

同様に、家康も衝撃を受けます。その家康に秀吉は「本当に、信長殿の臣下とならんでよろしいのですか?」とささやきます。

 

(本当に恐ろしいのは・・)

戦に勝利した徳川軍と織田軍は、岡崎城に戻りました。

 酒盛りの中、信長は、「我らにとって最も恐るべき相手は誰だ」と聞くと、佐久間信盛は北条だなどと言いますが、信長は「ついてこられないものは置いていくぞ」と突き放ちます。

聡明な秀吉は、それが家康だと気がついていましが、「猿の脳みそではわからん」と。さらに信長は娘の五徳にも、お主はどうじゃ。わかっておろう。と言います。

 

(織田の臣下に) 

一方、徳川家では、長篠での織田の力を見せつけられ、織田の家臣になるのもやむを得ないと考えます。

そして家康家臣団は「我らの殿は、ようやってこられたそうじゃ」、「殿がどこの殿を殿にしようと、ワシらの殿は、殿だけじゃ。」と口々に家康をたたえます。

家康は瀬名に「瀬名。わしは、信長殿に従う。今川の出であるそなたにとって、織田の臣下になることは耐えがたいことだろう・・・」すると瀬名は「お家の安泰が一番でございます。」と答えます。よくできた妻です。

息子信康も「承知しております。これからは、織田様のところで励みましょう。」と言います。

そして、家康と信康は信長の前でひれ伏します。

信長は「徳川家康、岡崎信康、我に仕えることを許す。」と言い「武田を徹底的に滅ぼして、次は北条、上杉や伊達もいる。十分に働け」と命じます。

 

(信康)

信康は、これまでと人が変わったように好戦的になり、先頭切って功績を上げます。
そして信康の活躍で、武田にとられた遠江の二俣城を取り返します。
活躍を続け、それを自慢げに語る信康を見て、母・瀬名は「虫も殺せない子だったのに」と心配します。

そんな瀬名の心配に対し家康は「信康は戦術にも長けているし、立派な武将。心配ない」と言います。

しかし・・・信康の心は病み始めていました。
夢の中で死んだはずの武田の兵が襲ってくる夢に襲われ夜も満足に眠れません。
信康の妻の五徳もその異変に気がつきます。そして父信長が話した「今後、われらがもっとも恐れるべき相手は徳川じゃ。この家の連中をよく見張れ。変な動きを見逃すな。」を思い出します。

 

ある日の深夜、縁側で信康がひとり泣いていました。(つづく)