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大河ドラマ「どうする家康」 ネタバレあらすじ 24話「築山へ集え!」

大河ドラマ「どうする家康」24話「築山へ集え!」
そのあらすじを見ていきましょう。


(書状)
瀬名が築山で会った滅敬の正体は、武田勝頼重臣穴山信君でした。

また家康の息子・信康も、瀬名のもとに通っていました。そして瀬名と二人で机に向かい、何通もの書状を書いていました。いったい何の書状??


(何が起きているのか?)

家康も家臣も「瀬名を中心として築山で何か起きている!」と感じます。
そして1576年の暮れに、家康がいる浜松城で、そのことに対する会議が開かれました。しかし築山で何が起きているのか、その様子がわりません。
築山には武田の間者が出入りしているのではないか? 築山が怪しい連中が終結するアジトになっているのではないか?すぐに手を打つべきではないか?など推測や意見が飛び交います。

 

(鷹狩り)

そんななか、鳥居元忠が、信長が鷹狩りを誘ったと家康に伝えます。信長が鷹狩を誘うのはだいたい、困った話を持ち掛けてくる時です。
家康は、築山の事が信長にバレたのか??と考え急いで着替え酒井忠次と一緒に信長のもとに向かいます。
信長は家康に「五徳がいろいろと申しておる」と言いますが、家康たちは夫婦のことだからとかわします。
さらに信長は、水野信元のようなことはあれきりにしたい、と忠告します。
この時点では、信長はまだ築山の事に気が付いていないようでした。しかし最後には、家康にはちゃんとするように釘をさしました。

(有力者が続々と築山に)

1577年春、信康が築山を訪れます。
そして瀬名と信康は、滅敬と千代と会って話をします。その会話を家康が放った、忍び大鼠が床下で聞いていました。
その気配に気がついた滅敬が刀を抜いて床を刺しますがm刀は大鼠の身体を刺すことはなく、大鼠は逃げます。

その日の夕方、浜松城では大鼠の知らせを受けた服部半蔵が、築山で起きていることを家康たちに報告します。

築山に集う人物のうち、滅敬と名乗る唐人の医師は、武田の名のある武将に間違いないと推測します。

また、家康の母の於大の方とその夫の久松長家も築山に姿を見せていることから、築山での集合・結束は、岡崎勢が武田と結ぼうとしているのかもしれないと不安視する家臣もいます。
さらに、築山には今川氏真と糸もやってきているのもわかりました。このように有力な人々が築山とつながっているのです。

報告を受け、家康は築山に行くことにしました。そして信長の娘で信康の妻である五徳も家康に同行し築山を目指します。

 

(瀬名の構想)

家康たちが築山に到着すると、すでに瀬名、そして信康が待っていました。
そこに滅敬がやってきました。酒井忠次はすぐに、滅敬が武田の重鎮の穴山信君であることに気づき、家康も刀に手をかけます。
すると穴山信君は、自分が武田勝頼の腹心、穴山信君であること、見てのとおり丸腰で討たれる覚悟で来ていることを告げます。さらに瀬名の考えを聞くように家康に促します。

 

瀬名は「殿には、最後に話すつもりでした。五徳も聞いておくれ。」と言い家康の前に書状を並べます。書状は、家康の母の於大の方とその夫の久松長家、今川氏真、糸の同意書でした。

 

瀬名は、周りの国々が戦をやめ、お互いのものを奪い合うのではなく、助け合い協力することで共存していく構想を掲げます。

穴山信君は、「民は、今の暮らしを守ることが大事。恨みを抱えておるのは、上の者だけじゃありませぬ。」と賛同し信康も「父上、私はもう誰も殺したくありませぬ。戦をやめましょう。」と言います。

 

さらに瀬名は、三河遠江駿河、甲斐、信濃、相模、越後、奥州らで共通の通貨を作り経済をまわすことを考えていました。そして徳川、武田、織田、北条、上杉、伊達が話し合いで物事を決める戦のない世を作りたいというのです。
裏切りやはかりごとが飛び交い、生き抜くことが重要な戦国の世に、このような理想形を持ち出す瀬名は「すべての責めは、この私が負う覚悟にございます。殿、忠次、数正、五徳、どうか私たちと同じ夢を見てください。」と言います。
この「全ての責め」が後の瀬名の自害につながります。

これを聞いて五徳は、信康についていくと返事をします。

石川和正が、「穴山殿、我々は勝頼殿を信頼することは簡単にはできませぬ。それは、勝頼殿も同じでは?」と問うと、穴山は「確かに、我が殿も迷っておられます。徳川様が意思を示していただければ、私が必ず殿を説得いたします。」と答えます。

瀬名が描く「話し合いで解決し助け合う戦がない世界」構想が動き出します。

 

(武田と徳川)

信康は、徳川の大軍を率い武田がいる高天神城を取り囲み射撃をします。しかし撃った銃は空砲でした。対する武田軍のまた空砲です。こうして瀬名が考えた「話し合いで解決し助け合う戦がない世界」構想に武田と徳川も合意します。それから2年間、高天神城をめぐって、徳川・今川両軍が八百長いくさを続けました。

 一方、信長は高天神城がなかなか落ちないことにイライラし佐久間信盛に詰めの甘さを指摘します。

 

(裏切り)

しかし、うまく行くと思われていた瀬名の「話し合いで解決し助け合う戦がない世界」構想が終わりを迎えます。

甲斐の武田勝頼が裏切り行為に出たのです。
勝頼は、千代と信君を呼び「徳川は織田を裏切り、武田と手を結んでおるとうわさを流せ。仲良く生き続けるくらいなら、戦って死にたい。信長の耳に入れろ。信長と徳川の関係が崩し、2人を戦わせよ。わしが、織田、徳川の両方とも滅ぼす。」と言い出します。そして、築山殿と武田が通じているという噂を流れ、それは家康、そして信長の耳に入ります。

ああ、万事休す・・・

さあ、次は瀬名と信康は非業の最期です。