日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

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大河ドラマ「どうする家康」ネタバレあらすじ第18話「真・三方ヶ原合戦」

 

どうする家康の第18話は「真・三方ヶ原合戦」。

三方ヶ原の合戦」は、1578年に起きた武田信玄との合戦で、家康の人生で最大のピンチと言われています。また、この戦いは「三河一向一揆」「伊賀越え」とともに徳川家康の“3大危機”に数えられています。

ではストーリーを見ていきます。

(家康は死んだのか?)

家康がいる浜松城を黙殺し通り過ぎる武田軍。無視されたことに怒り,城から出て攻撃に向かう家康軍・・・これは、信玄が仕掛けた罠でした。

そして三方ヶ原で待っていた信玄軍の総攻撃を受けに三方ヶ原は徳川兵の屍で埋め尽くされます。

死体が並ぶ三方ヶ原では、かつて家康を殺そうとした井伊虎松が来ていて、ある光景を目にします。

それは・・・。

武田軍の一隊が引く荷車の上にある金茶美具足をまとった遺!!さらその傍らを歩く侍の槍には、金の兜を被った首が!!
これは家康??!!家康は死んだのか?
金荼美具足を纏った遺体が信玄のもとへ届けられ、家康が戦で討ち死したとの噂が広まります。

その知らせは、家康の妻・瀬名のいる岡崎城や信長の岐阜城にも届きます。

 

桶狭間など二度とは起らぬか・・)

家康死亡の知らせを聞いた信長は岐阜城から外の闇を眺め、こうつぶやきます。「やはり、桶狭間など二度とは起こらぬか.」なんとも・・・・。

しかし信長は「いずれにせよサル、愉快じゃのう」と危機的状況を楽しみます。

その言葉に意気消沈していた藤吉郎も元気を取り戻そうとしますが、お下劣でアホまる出しの将軍足利義昭のことを心配します。

 

(三方ヶ原)

三方ヶ原で何が起きたのか・。

三方ヶ原で、徳川軍は武田軍の待ち伏せにあい、総崩れとなりました。

その状況を見て織田軍から加勢にきた水野信元と佐久間信盛は、さっさと引き上げます。

徳川の家臣団も散り散りになり退却します。

しかし退却する中に家康の姿はありません。

 

(ここから先は通さん!)

家康の家臣で酒ばかり飲んでいた本多忠真、ここ最近何かと登場シーンが多かったのでコレは何かアルとおもっていましたが、やはりありました。

本多忠真は、甥の平八郎に「お前の死に場所はここではない。殿が好きなんじゃろうが!殿を守れ」と言い、旗を地面に突き刺し、「ここから先は1歩も通さん!」と武田兵たちの進路をふさぎ、自らが盾となり壮絶な死をとげます。

 

(身代わり)

さて、御大将の家康は三方ヶ原付近にある集落に潜んでいました。その周囲には敵兵がいるので、下手に動くことができません。

そこに家康を探しに来た夏目広次が合流します。家康を見つけると夏目は、家康がつけている具足を外します。

家康は、夏目が自分の代わりになろうとしていることを察知し拒みましたが、金茶美具足を脱がされてしまいます。

家康は「やめろ、夏目吉信!吉信じゃろう?」と叫びます。

かつて家康が幼少の頃、広次と名を改める前は“夏目吉信”でした。そして2人はよく遊んでいました。

しかし、夏目吉信は、家康のそばについていたものの、幼い家康を織田に奪われるという大失態を犯しました。
この責任を感じた夏目は、切腹しようとしますが許されず、心機一転で名前を「吉信」から「広次」に変えて家康に仕え続けていました。家康が何度も名前を間違えていたのはそういう経緯からでした。

さらに夏目は、一向一揆で家康に反旗を翻し謀反を起こしています。
しかしこの時も、家康に不問に付されました。
こうした二度の不忠・不義理を許してくれた家康に恩義を感じていた広次は、「自分がその恩返しをして家康を守る」という決意し家康の身代わりとなるというのです。

.家康は「吉信!ダメじゃ、吉信!」と言いますが、夏目は「殿が死ななければ、徳川は滅びません。」と言って家康になりすまし、外にいた武田兵の方へむかい身代わりとなって討ち死にします。

そして、その死と引き換えに家康は命からがら逃げだし生き残ります。

ですから武田軍が取った首は家康ではなく、夏目でした。

 

(空城の計)

浜松城では、信玄との負け戦で逃げ帰った負傷兵と、手当に駆け回る兵や女たちで騒然としています。

そんな浜松城を、戦から戻ってきた左衛門尉と石川数正が見張っていると、武田勝頼率いる部隊が現れ、これから攻め入ろうとします。

ここで攻められたら徳川軍は全滅です。

そこで左衛門尉が数正に耳打ちし、それを聞いた数正は「城門を開け放て!かがり火を焚いて息を潜めよ!」と号令します。

城を開放し、罠であるかのように思わせて、敵に何かあると思い込ませる「空城の計」を使ったのです。

 この作戦は見事成功し、勝頼は「これは何かある」と感じ攻撃命令をせずに、三方ヶ原の陣へ引き揚げていきます。

また、信玄も浜松城を攻撃することなく西に向けて出発しました。

まさに紙一重です。

武田軍退却の知らせを聞いて、家康はほっとしますが、同時に圧倒的な戦力の差を痛感します。

 

忠実な2人の死を体験し家康は「わしはみんなに生かされた。彼らの死を決して無駄にはせん!」と決意します。

一方、信玄は東三河野田城を攻略するなど、西へ侵略を進めていました。

ところが・・快進撃を続けていた武田軍が急に進路を変え、甲斐に引き返し始めました

突然も行動。。。何かが起きたのです。。。

(次回に続く)