日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

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館林駅前にある「不屈のG軍魂誕生の地」 

群馬県館林市
東武線舘林駅東口を降りると駅前にタヌキの石像があり、その隣には
「巨人軍栄光の初V 不屈のG魂誕生の地 分福球場」と
刻まれている石碑があります。

(分福球場)

群馬県館林市にある、茂林寺と言うお寺は、童話の「ぶんぶく茶釜」ゆかりの寺です。その茂林寺から東武伊勢崎線を挟んだ反対側に、かつて分福球場がありました。
分福球場は昭和初期に建てられた球場で、“茂林寺球場”とも言われていました。


1936年(昭和11年)9月5日から東京巨人軍藤本定義監督以下選手20名が、
この分福球場でキャンプを行いました。
この練習は「茂林寺の猛練習」ともいい、ジャイアンツ史上に残る猛特訓でした。
その後、分福球場は関東学園に売却され、1974(昭和54)年には関東学園の分福総合グラウンドとなりました。現在では球場の面影は残っていません。

【上記写真はイメージです】


(1936年:昭和11年プロ野球

1936年(昭和11年)のプロ野球シーズン開幕直前の日本のプロ野球球団は、東京巨人軍大阪タイガース名古屋軍、東京セネターズ、阪急軍大東京軍名古屋金鯱軍の合計7球団がありました。
また、この年は春季・夏季・秋季の3つにシーズンが別れ春季と夏季は優勝チームを
決めず、秋季で初めて優秀チームを決めることとしました。 

この年の9月25日、巨人の伝説の名投手沢村栄治が、甲子園球場での大阪戦で史上初のノーヒットノーランを達成しています。(試合は1対0で巨人軍の勝利。)

12月9・10・11日には、洲崎球場で巨人軍と大阪との優勝決定戦が行われ、12月11日に
巨人軍が勝利し、プロ野球初の優勝球団となりました。

この分福球場でのキャンプが、現在まで綿々と続く巨人軍の基礎を作ったと言われます。

(巨人の基礎を作った分福球場を伝え残す石碑)

東武鉄道館林駅東口正面には「巨人軍栄光の初V 不屈のG魂誕生の地」として石碑が
建てられ「巨人軍栄光の初V 不屈のG魂誕生の地 分福球場 と大きく刻まれています。

この石碑の裏には以下の文が刻まれています。

巨人軍初Vの原点「分福球場」
巨人軍の球史に燦然と輝く伝統の球場が、館林駅から一つ南の茂林寺駅前の西側にあった。昭和十一年九月五日からの秋季キャンプは血のにじむ地獄のキャンプと言われ「暁の千本ノック」で徹底的に選手を鍛え直し、巨人軍初Vの原点となった「球場」として、いまも語り継がれている。七十三年前、巨人軍の歴史に一度だけ強烈に登場し、今は完全に姿を消した、伝説とロマンの「分福球場」を館林市民として後世に語り継ぐことは多くの野球少年に夢と希望を与えるものである。ここに読売巨人軍七十五周年を記念し、当時の巨人軍選手の偉業を讃え、記念碑を建立する。

平成二十一年十二月吉日
ときの市民有志これを建つ

 


ただ、舘林駅前に立つ石碑だけが静かにその歴史を物語っています。

<<「不屈の巨人軍魂誕生の地」への行き方>>
東武線舘林駅東口

 

館林駅前にある 不屈のG軍魂誕生の地、
東京読売巨人軍の栄光の歴史がここから始まった証です。