1909年(明治42年)7月1日、
代々木公園の一帯に陸軍代々木練兵場が設置されました。
(代々木公園一帯は陸軍が買収し練兵場に)
現在NHKや代々木体育館、代々木公園などがある一帯は、江戸時代は大名や旗本などの屋敷がありました。そして明治維新後は、茶畑などになりました。
ここを陸軍が買い上げ、1909年(明治42年)7月1日、陸軍練兵場と東京刑務所が設置されました。
練兵場は演習のないときには一般に開放され、草野球や凧揚げなども行われたそうです。
そして、ここで様々な歴史的出来事が生まれました。
12月19日、日本初の飛行に成功しています。
1910年(明治43)12月19日に軍主催の“飛行記録会”が行われました。
この会で、徳川家の流れをくむ徳川好敏大尉がアンリ・ファルマン式複葉機で先に飛行し、次いで士族の日野熊蔵大尉もハンス・グラーデ式単葉機で飛行に成功しています。
下の写真は1922年(大正11年)に発行された「答礼使御来朝記念写真帖 中巻」に記載されている代々木練兵場での騎兵分別式です。中央で敬礼をしているのが英国皇儲、
そのすぐ近くには当時の摂政宮(昭和天皇)の姿があります。
(引用:国立国会図書館「答礼使御来朝記念写真帖 中巻」31ページhttps://dl.ndl.go.jp/pid/967729/1/31)
1935年(昭和10年)には陸軍練兵場の地に掲揚台「皇太子殿下御降誕記念」が作られました。
また、練兵場の南端、現在の渋谷区役所付近には陸軍刑務所が置かれていました。
ここでは、1936年(昭和11年)7月11日には、その年に起きた2・26事件の主謀者15名に、反乱罪として銃殺刑が執行されました。
1937年(昭和12年)に日中戦争がはじまります。そして、中国大陸で日本軍が中国軍の激しい戦闘状態が続くころ、代々木練兵場の一般開放は中止されます。
さらに太平洋戦争末期には、練兵場は学徒の教練場として使われています。
終戦直後の8月25日には、この場所で、国家主義者団体・大東塾の14名が天皇に敗戦をわびて割腹自決をしています。
(ワシントンハイツ、そして代々木公園)
終戦になると、この地は占領軍に接収されアメリカ軍の兵舎や家族用住居が並ぶワシントンハイツとなります。
このワシントンハイツは1946年(昭和21年)に建設され1964年(昭和39年)に返還されます。
その後は、東京五輪の選手村・国立代々木体育館、NHKになります。
様々な日本の歴史を見続けてきた代々木・・。
7月1日は、陸軍代々木練兵所場が設置された日です。