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大河ドラマ「どうする家康」 ネタバレあらすじ 26話「ぶらり富士遊覧」

 


第26話「ぶらり富士遊覧」の世帯平均視聴率10・7%でした。
それではストーリーを見ていきます。

(変わった・・)
第26話は、徳川家康が月代(さかやき:額から頭頂部にかけて剃り落とす髪型)にするシーンから始まりました。そして、徳川家康は髪型と同時に人柄まで変わりました。

1581年春、徳川軍は武田が守る遠江の要所・髙天神という山城を囲みます。
そして武田軍からの応援の食料や弾薬のルートを絶ち兵糧攻めにしているために籠城している兵たちは餓死寸前です。

 やがて岡部元信は降伏。岡部は自分の命と引き換えに城内の兵を助けて欲しいと文を送りますが、家康は信長の命令だからといい、その訴えを無視します。

家臣たちは「降伏する者を殺すなど侍の道にもとる」、「殿は人が変わってしまった。織田信長の言いなりだ」と嘆きます。

また、「上様。上様」と、信長の言うことばかりを聞く姿にも不満をつのらせます。

特に 本多忠勝は、信長の命に従うだけの家康を、「信長の足をなめるだけの犬になりさがってしまった」と非難します。

 

(秀吉の訪問)

ある日、秀吉が家康を訪ねてきました。秀吉が、妻と子を殺す事になったので家康が
信長を恨んでいないかと探りに来たのです。その質問に家康は、「自分の責任」と答えます。

 

(勝頼の死)

織田・徳川連合軍は、武田との戦いのために甲斐に侵攻します。織田軍は、信長の嫡男・織田信忠信濃から先発。一方、徳川軍は駿河から甲斐に入ります。

家康が甲斐に入り館の裏に行くと穴山梅雪が「お待ちしておりました。この穴山梅雪、織田様と徳川殿のお役に立てるよう力を尽くします。」と従うことを伝えます。

やがて、本多忠勝榊原康政がやってきて武田勝頼の死が伝えられました。武田勝頼は、裏切りが相次ぎ兵の数が減り、最後はわずか40人ほどの手勢で、織田軍に挑んで死亡したのです。

この知らせを聞き、これまで武田との戦いで、たくさんの犠牲を払ってきた徳川陣営では、織田に花を持たせるために自分たちには武田を討たせてもらえなかったと不満です。

 

(勝頼の首)

家臣が不満を抱いている中、家康は織田本陣を訪れ「上様、見事、武田勝頼を討ち取り、心よりお慶び申し上げます。」と言い献上品を渡します。そして、その席に武田勝頼の首桶が運ばれてきます。

 

光秀は、「お待ちかね、武田当主の哀れな姿をどうぞごらんあれ。長年の恨みを気のすむまで、蹴るなり、殴るなり好きにしてください。さあ、積年の恨みをこめて遠慮なく。」と言いますが、家康は、「恨みなどありませんぬゆえ。死ねば仏かと。」と答えます。

それを聞いた信長は「別の誰かを恨んでおるのか?」と聞きます。これは「お前の妻子を死に追いやらせた、俺を恨んでいるのだろう」という意味ですが、家康は「なんのことでございましょう。」と言います。

 

(富士遊覧)

その席で石川数正が「安土に帰る日程はお決まりでしょうか。武田に勝利したお祝いを徳川にさせていただけませんか。」と信長に提案し信長は快諾します。

家康は、信長が安土まで帰る途中に、富士の絶景を堪能してもらおうという「富士遊覧おもてなし道行き計画」を考えていました。

智慧と労力を費やし家康は、信長を最高にもてなそうと要所要所を押さえ歓待することにしました。そしてその準備に力を入れました。
しかし肝心の信長は富士の名所も興味が薄く、ベストな状態でもてなす準備をしていた信玄の隠し湯にも全く関心を示しません。こうして旅行行程がどんどん前倒しになっていきます。信長の気まぐれによって、なかなか予定通りには進まず家臣たちはストレスをかかえていきます。

このような無礼な信長、それに従順に使える家康の態度に、榊原康政は「殿のあのような姿をこれ以上見とうない。なんのために、2人は自害された。2人が報われん。」と怒ります。

それに対して、於愛が「そのようなこと言うでない。殿が、殿がどんな気持ちでもてなしているのか。お前たちにわかるのか。」と怒りました。

酒井忠次は、「殿には、深いお考えがおありなのだと私は信じておる。」と本多忠勝榊原康政に言います。

 

(海老すくい)

その頃、信長と家康は富士の裾野でお茶を飲みながら話していました。信長は家康が掲げる旗に書かれている文字・「厭離穢土、欣求浄土」に、「あれは気味が悪い。陰気臭いんじゃ。気持ちがなえる。」とケチをつけます。
その席で家康が信長に、駿河今川氏真に任せたいと言うと、信長はそれを拒否し、そういう発想をする家康の考えも否定します。

さらに明智光秀が「徳川殿、ついでに申しておきます。伊賀を根絶やしにしてください。」と言います。
家康は、これらの信長の注文に反論することなく、全て言いなりです。
その場の雰囲気を盛り上げようと忠次が「海老すくい」を踊ろうとしますが、家康は、それを制止して、自分で踊り始めます。
家康自ら“海老すくい”を踊り、皆の笑いを取る姿に、家臣たちは複雑な気持ちです。

 

翌日、信長は「家康よ。よい時をすごした。お主はまだ安土に来たことがないな。安土に来い。今度は俺がもてなす。」と言われます。信長が上機嫌となったことで富士遊覧は大成功でした。

ただ信長は密かに「あれは変わった。心を見せないようになった」とつぶやきます。

 

(本心)

信長の言いなりだった家康。その家康の元に家臣が集います。そして「左様なふるまいを続けるなら、ついていけませぬ。」「そろそろ、お心うちを・・・」と迫ります。
それを聞いた家康は「信長を殺す。天下を取る。」と言います。これは本能寺・家康黒幕説ストーリーの布石なのか・・。そしてTV画面には“本能寺の変まであと46日”の文字。
今回はここまで・・・。