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大河ドラマ「どうする家康」 ネタバレ,あらすじ 29話「伊賀を越えろ」

大河ドラマ「どうする家康」第29話「伊賀を超えろ」、視聴率は11.5%でした。

それでは、ストーリーを見てきます。

(天下人光秀に狙われる)
家臣・明智光秀が起こした謀反・本能寺の変で、信長が死亡し、信長の嫡男・織田信忠も自害に追い込みます。
この一大事が起きたときに信長家臣の豊臣秀吉柴田勝家は、京都から離れた場所にいたため、すぐに京都に戻る事ができません。
そして天下人となった光秀は、信長と友好関係にあった家康の首も狙います。


そのころ、家康は、堺にいて、手勢もわずか。
明智が、「家康の首を取ってきた者には褒美の金に糸目をつけない」と触れ回っているので身の危険が迫っていました。
家康が、山道を逃げていると追っ手が襲って来ます。そこを京から駆けつけた半蔵や女大鼠の服部党が助けます。

 

(伊賀を超えろ)

しかし、家康一行は、茶屋四郎次郎にもらったお金がつきてしまいます。

そこで服部半蔵は伊賀越えを提案します。伊賀は半蔵たちの親や祖父母の故郷だから伊賀に入れば安心だというのです。
そして追手を欺くために、酒井忠次信楽の近江路、石川数正は、人目につきやすい桜峠に行くなど、3つのルートに別れ、伊勢の白子浜で落ち合うことにしました。

 

(小川城)

家康は、小川城で夜を過ごすことにします。小川城は、甲賀忍者の親分の多羅尾光俊がおさめていました。

小川城に行くと、多羅尾は、炊きたての赤飯や干しイチジクを振い、温かく迎え入れてくれました。
また甲賀衆の伴与七郎たちは、食料を持ってきてくれました。この伴与七郎は、瀬名を今川から奪還した際に協力してくれた人です。

多羅尾は、伊賀越えを考える家康達に対し、「伊賀は、織田と対立しているので、織田の味方をしていた家康たちが入ると、危険だ」と難色を示します。

そして信楽に入るのが安全なので護衛をつけてくれるとまで言います。

しかし、服部半蔵は、「多羅尾が親切がすぎるので、これは罠ではないか、信楽には明智の兵が待ち伏せしているのではないか」と不安を抱きます。

 

そこで家康たちは、服部半蔵の言葉を信じ、夜が明けないうちに城をでて、自分たちだけで伊賀へ向かいます。「三河にたどりつけたら褒美を出す」という書き置きをしました。

家康は、自分に徳があるかどうか。あるならば天は我らを生かすだろうと覚悟を決めます。

 

(襲撃)

伊賀に入ると、何者かが木の上から様子を見ています。すぐに伊賀者が襲いかかってきました。そして家康は捕らわれます。

敵の大将・百地丹波は、家康の首を取り、明智光秀に引き渡そうと言い出します。
半蔵が、自分が服部家の者だと言いますが、相手にしません。女大鼠は、徳川は伊賀者を助けたのだから恩義があるだろうと言いますがこれも却下です。

百地が家康の首を切ろうとすると、自分が身代わりになろうと、半蔵をはじめ、家臣や伊賀者たちが口々に自分が家康だと名乗り出ます。

 

本多正信

するとここで軍師をしているという本多正信が登場します。正信は、一向一揆以降、消息不明でしたが伊賀で軍師をしていたのです。

正信は、「妙な噂が広がっている」と言います。

それは、信長が生き残っているという噂があり、もし信長が生きていたら、明智に付くやつはいない。それなのに家康の首が届いたらどうなるか。家康は信長の弟分だから、信長は伊賀を滅ぼすだろう。逆に今、家康を助ければ、信長は伊賀に感謝して守ってくれるだろう。というのです。

それに対し家康は、「自分も信長は死んだと思っているが、首が出ていないのはたしか。明智は信長の首をとらなければいけなかったのに、やつはしくじった。わしに恩を売れ、それがもっとも利となることじゃ」といいます。

百地は「賢い物言いじゃ、軍師殿が惚れ込んだのもわかる。」と言い、家康の縄を切り、「おぬしに賭ける」と言って助けてくれました。

正信は、自分の命と引き換えに伊賀者を助けようとした家康の姿に感心し、家康を助けたのでした。

 

(合流) 

こうして助かった家康は、別のところでとらえられていた本多忠勝らと一緒に釈放され、伊勢の白子浜に到着しました。

酒井忠次石川数正は、敵の襲撃も受けることなく無事、白子浜に到着していました。

家康は、命の恩人となった本多正信に気が向いたら浜松に来い、鶏の世話からなら使ってやると笑います。
そして半蔵には、「助かったのは服部党のおかげ。褒美をとらす。今日からおぬしは立派な武士じゃ」と言います。半蔵は「わしはもともと武士でござる」と微笑な答え・・。
さらに「わしもこれで側室ぐらいは」と女大鼠の肩を抱き寄せますが、パンチをくらいます。

こうして堺を出発して3日後、家康は無事に岡崎城に帰ってきました。

 

(動き出した天下)

穴山梅雪が討たれた知らせが入ってきました。穴山梅雪は自らを家康と名のり、身代わりとなって討たれたのです。光秀に届けられた“家康の首”は、梅雪のものでした。

本能寺の変から11日、家康を討とうとしていた明智光秀は、秀吉との山崎の戦で敗れ、坂本城を目指します。

その途中で落ち武者狩りにあいます。「わしは明智じゃない」という光秀にたくさんの槍が貫き、光秀は絶命します。
後日、光秀の首が秀吉の元に届けられます。秀吉は「今まででいちばんええ顔しとる」と笑います。こうして本能寺の後始末は終了、
いよいよ秀吉の台頭となります。次回に続きます。