日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

MENU

大河ドラマ「どうする家康」 ネタバレ,あらすじ 37話「さらば三河家臣団」

第37話さらば三河家臣団、視聴率は10.1%でした。
それではストーリーを見ていきます。

(鶴松誕生)
天正17年(1589年)5月27日、茶々が秀吉の子・鶴松を産みました。
このとき秀吉は53才・・父となった秀吉は、「ただちに軍勢をととのえ小田原へ迎え。北条領を滅ぼせば領地は全て与える」と北条討伐を決定します。
これを聞いた家康は「お待ちください。その褒美は、お断りもうしあげる。北条には、所領を安堵してすみやかに終わらせます。と言います。家康が4月に終わらせるというと秀吉は3月だ!と強気です。

一方、小田原城では北条氏直と妻で家康の娘のおふうが父・氏政に上洛をするよう説得していましたが、なかなか成功しません。


家康は「関白殿下の命により、北条攻めを行う。小田原城を取り囲み3月で終わらせる。」と宣言します。
しかし本田正信は、国をくれるというのは、国替えだと感じます。

 
(戦地に淀が!)
秀吉軍は、20万もの兵で北条の小田原城を囲みます。家康は、秀吉に、北条に降伏を促すように提言しますが、秀吉は聞き入れません。

そこに、茶々がやってきました。家康を見た茶々は「またお会いでき、うれしゅうございます」と満面の笑み・・秀吉は戦争中の自分の陣地に愛人を連れ込むのです!!
秀吉はだんだんおかしくなってきましたね。


(江戸に住め!)
秀吉は、家康に「北条領は、いっさいそなたのものじゃ。三河遠江駿河、甲斐、信濃はしかるべきものに収めさせる。関東は従わぬものが多い。そなたは、そちらに専念してもらう。江戸は、よいぞ。東国の要にもっともよい。お主は江戸。戦が終われば、そのまま迎え。」と言います。
家康が命じた江戸行き・・それは慣れ親しんだ三河の土地を離れることでもありました。本田忠信が危惧した通りの国替えです。

(秀吉の身内)
秀吉の正室の寧々は家康に「殿下に物申せるのは徳川殿だけだわ」と家康に愚痴をこぼします。その秀吉の妹の旭は、病気で寝込み、天正18年1月14日(1590年2月18日)に47才で死去します。

 
(北条降伏)
ついに北条氏直が降伏しました。降伏してきた北条氏政に家康は、なぜもう少し早く降伏しなかったかを尋ねると氏政は、「夢を見たからです。かつて、今川氏真とわが妹を通じてある企てに誘われました。小さな国々が争いあわず、一つになるんだと。わが北条は、関東で民と穏やかに暮らしていたかっただけ。なぜそれが許されんのかのう。その変化に最後まで抗いたかった。わが民をよろしくお頼み申す。」と言います。

そこに石田三成がやってきて、家康に秀吉が命じた江戸への国替えについては我慢するように言います。

 

(国替え)
北条氏政が小田原から去ったことで小田原の戦は終了。・・と同時に家康は秀吉が命じた江戸行きを家臣達に伝えねばなりません。

その前に、忠世は、正信から家康の国替えの話しを聞き、すぐに徳川家臣団を集めて話します。
この国替えについて、忠勝や直政達は怒り、忠世に詰め寄ります。そんな彼らのやるせない気持ちを忠世は、ただひたすら受け止めます。
そして家臣たちも理不尽ながら、国替えを受け入れます。

 

家康は重臣たちを集めて、「関白殿下の命により国替えとなった。北条領を承るかわりに、われらの領土を関白殿下にさしだす。三河を手放す。国を立つ前に伝えなかったのは、混乱を避けるため。異論は、認めん。」といいます。
これを聞いた家臣達は「殿、われらはとっくに覚悟はできております。」「新たなところを収めるのも、腕がなります。」といいます。

家臣団からの大反論を覚悟していた家康は「みな、本当は悔しかろう。無念であろう。このようなことになりすまなかった。」と詫びます。
そして、家康は、北条から引き継いだ所領の城を、井伊直政本多忠勝榊原康政鳥居元忠平岩親吉、忠世に与え、自分は江戸に入ります。この頃の江戸は太田道灌が開いたとは言え、海辺の漁村。この土地で一から町づくりを開始します。

集まった家臣のなかで半蔵には与える「国」はありません。半蔵は、家康と一緒に江戸に行くことになりました。
家康は、秀吉は信雄の国替えをしますが、信雄が不服を申し立てたの、で織田家は改易となった事を三成から知ります。主君だった織田家はもう秀吉には相手にされません。


(鶴松の死と朝鮮侵攻)
天正19年(1591年)8月5日秀吉の長男・鶴松が急死します。数え3つでした。

翌年の正月。江戸普請奉行・伊奈忠次は、神田山を削り、日比谷入江を埋める計画を家康に披露します。江戸の街の工事・開拓が本格的に始まろうとしています。

そこへ、秀吉からの文が家康に届きます。そこに「戦じゃ。朝鮮を従え、明国を獲る。」との内容でした。(つづく)