太平洋戦争中の1942年(昭和17年)1月2日、
日本軍がマニラを陥落させます。
(戦闘11日で陥落)
1941年(昭和16年)12月8日、太平洋戦争が始まり、日本はアメリカ領だったフィリピンに侵攻し、地上部隊が上陸します。
日本軍は南北からマニラへ迫り、12月26日にはマニラが無防備都市宣言をします。
そして翌年の1942年(昭和17年) 1月2日午後、マニラは陥落します。
第14軍のリンガエン湾上陸からわずか11日の事でした。
このときのアメリカ極東軍総司令官はダグラス・マッカーサーでした。
第14軍司令官の本間雅晴中将は、マニラ入城にあたり将校800名を集めて1時間に渡り「焼くな。犯すな。奪うな。違反したものは厳罰に処す」と訓示を行います。
参加した将校は各部隊に戻ると兵に軍司令官の訓示を伝えます。
マニラの陥落は、太平洋戦争で、初めての敵国・アメリカの領土の陥落=降伏と言う事で、当時は特報ニュースとして紹介されました。下をクリックして御覧下さい👇
アメリカ極東軍司令部とフィリピン政府はバターン半島とコレヒドール要塞へ移動します。
バターン半島のアメリカ軍およびフィリピン軍は、4月半ばに降伏、またコレヒドール島に立てこもったウェンライト中将は、5月6日に降伏します。
こうして、フィリピン全土の米比軍が、日本軍に降伏しました。
・・・ということで1月2日はマニラが陥落した日です。