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初代門司駅の遺構の工事が始まり、歴史的に価値ある遺構が消滅しようとしています ~初代門司駅の遺構の何がどう価値あるのか、現地写真とともに紹介~

初代門司駅遺構で工事が始まりました。
歴史的に貴重な遺構がなくなろうとしています!!

(歴史的に貴重な遺跡:初代門司駅の遺構が出土)
2023年(令和5年)秋、JR門司港駅近くで、歴史的に貴重な遺構が見つかりました。
1891年(明治24年)に開業した九州鉄道の門司駅(初代門司駅)の遺構です。

鹿児島本線の起点・JR門司港駅
鹿児島本線の起点・JR門司港駅
JR門司港駅の駅舎は1914年(大正3年)に建築された立派な建物で、重要文化財に指定されています。
現役の駅舎で重要文化財に指定されているのは、この門司港駅と東京駅の2つだけです。

この門司港駅の駅舎は2代目です。
下の写真は1915年(大正4年)に発行された門司市勢要覧に掲載された2代目駅舎の写真です。当時は門司駅と呼んでいました。

 【出典:門司市勢要覧:大正4年門司市出版:デジタル国会図書館アーカイブ

https://dl.ndl.go.jp/pid/944826/1/13

 

(初代門司駅
門司駅の初代駅舎は、現在の門司港駅から200メートルほど離れた場所に1891年(明治24年)4月1日に開業しました。
今では「初代門司駅」と言われています。下の写真は当時の駅舎の様子です。

開業当時の門司駅には、プラットホームには屋根がついていません。

(1891年:明治24年の初代門司駅の一部が!!
2023年(令和5年)10月13日(金)に新聞を読んでいたら、福岡県北九州市門司区にある門司港駅のすぐ近くにある公共施設の建設予定地(市有地)で、9月から調査を行っていたところ、1891(明治24)年に建造された初代門司駅舎外の機関車庫跡の一部とみられる赤レンガの外壁が出土したという記事を見ました。
そこで現場を見に行きました。
その様子は下をクリックして御覧下さい👇

 

それでは、今回の初代門司駅の遺構が
どれくらい価値があるものなのか、見てみます。

(初代門司駅遺構説明会に参加
2023年(令和5年)11月19日(日)朝10時、北九州市文化企画課が、学芸員による現地説明会を開催しましたので参加してきました。

北九州市役所によると今回調査した場所の過半数を占める長方形の煉瓦の構造物は、1897年(明治30年)の門司駅構内図で見たところ、機関車庫であると考えられています。
下の赤で囲んだ部分が今回の調査区です。

【出典:北九州市文化企画課による現地説明会で配布された資料より一部抜粋】

今回の調査では明治24年に建設されていたとみられる機関車庫(残存長さ約32.2メートル、幅11.7メートル)、危険品を納めていたと思われる倉庫、旧門司駅の一番外側の土台となる外郭石垣、機関車庫に並行して設置された鉄管、蒸気機関車などの石炭ガラの廃棄土坑、門司築港以前の護岸の石垣、体積土、2代目駅舎時代の倉庫の石垣や石垣側溝などが見つかりました。

これが当日、北九州市文化企画課が、現地で配布した資料です。真ん中にある青の線。これはかつての海岸線で、この青線より右部分がかつては海で、のちに埋め立てられました。

【出典:北九州市文化企画課による現地説明会で配布された資料より一部抜粋】

門司築港以前の護岸の石垣もありました。この石垣から先は、かつては海でした。

当時は石炭を原料とする蒸気機関車だったため、石炭ガラの廃棄土坑もありました。

明治時代のレンガも数多く出土しています。

【日本で唯一と思われる超貴重な資料が出土】
遺構には、当時の土木技術を知る貴重な物が色々ありましたが、なかでも歴史的に超貴重なものを紹介します。
今回ご一緒した産業遺産の第一人者である大学の先生によると、文献では見たことがあるものの、実物はたぶん日本でここにしかないという超貴重な物です。
(その1:岩盤仕様構造)
機関車庫跡の赤レンガ、イギリス積みでできているこのレンガは非常に貴重です。


基盤層と言われる岩盤の上に基礎があります。基礎を設置するために溝を掘削し、強固な岩盤を型枠替わりにして直接そこにコンクリートを流し込む「岩盤仕様の基礎構造」になっています。
(現在は型枠を使用して、そこにコンクリートを流し込む方法がとられています)



現地説明会当日、北九州市文化企画課が、現地で配布した資料には詳しく解説されていました。


【出典:北九州市文化企画課による現地説明会で配布された資料より一部抜粋】
(その2:低地仕様の基礎構造)
二重の枠型を作り丸太を使用した胴木を設置し、砂利を敷き詰め枠型を作り、その中にコンクリートを流し込む「低地仕様の基礎構造」もありました。
赤レンガの下に、コンクリートの基礎部分、その下には丸太と砂利を使うことで地盤沈下を防ぐためだということでした。
これも実物は日本全国でここにしか見ることができない貴重な資料だそうです。

現地説明会当日、北九州市文化企画課が、現地で配布した資料には詳しく解説されていました。

【出典:北九州市文化企画課による現地説明会で配布された資料より一部抜粋】

(その3:2種類の石垣)
今回2種類の石垣が発見されました。
写真左の「石垣3」は、綺麗なカーブがあります。これは初代門司駅の外郭の石垣だと推測されます。
一方、写真右の「石垣2」は、曲がり角がカーブではなく直角。これは、倉庫の土台の石垣だと推測されます。

場所的に見ると「石垣3」の外側に「石垣2」があります。

【出典:北九州市文化企画課による現地説明会で配布された資料より一部抜粋】

 

同行した大学の先生によると、初代門司駅の石垣、ここでは「石垣3」を拡張して
「石垣2」ができたのではないかと言う事です。

【出典:北九州市文化企画課による現地説明会で配布された資料より一部抜粋】

(その4:当時の路線跡??)
当時の線路跡と思われる場所がありました。蒸気機関車に使用した石炭ガラが置かれていたと思われます。

【出典:北九州市文化企画課による現地説明会で配布された資料より一部抜粋】

その近くにはバルブがありました。蒸気機関車に水を供給していたのでしょうか??

(その5:転車台の銘板だと推定されます)
転車台の銘板だと推定されるものも、ここから出土しました。
上には  OF NEW YORK
下には USA 1912 の文字が刻まれています。
アメリカン・ブリッジ社製です。

今までは、見ることができずに
書物でしか知ることができなかった
明治・大正・昭和初期の建築技術を物語るものが
現物として残っていて、
それを直接見ることができるという
非常に貴重な遺構です。

(専門家たちも貴重な遺構だと注目し高評価)

初代門司駅遺構に関して、専門家も貴重な遺跡だと注目しています。
 2023年(令和5年)12月1日には建 設 建 築 委 員 会 が初代門司駅跡関連遺構の保存につ いて陳情書を提出しています。
 2024年(令和6年)2月13日、産業遺産学会は、門司港地域複合公共施設整備事業を中断し、十分な調査・研究を行い、その価値を確かめたうえで、委員会を設置し、開発と保存の両立をはかるべく、検討することを望む「「初代門司駅遺構」保存・公開の要望」を北九州市長と北九州市議会議長に提出しました。
 2月21日には、国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の諮問機関「国際記念物遺跡会議(イコモス)」の国内組織・日本イコモス国内委員会が現地視察を行い、「ここは明治半ばの建築土木遺構として貴重であり、保存状態も極めて良好で国史跡指定に値する価値があり、日本の鉄道遺産として重要な遺跡だ」と評価しました。そして、北九州市役所に全体の現地保存などを求める要望書を提出しました。
 また2月24日には、建築史学などの有識者でつくる「九州鉄道初代門司駅研究会」(代表・藤原恵洋九州大名誉教授)が門司区で緊急シンポジウムを開き、この鉄道遺構の重要性を発表しました。
5月には市民の有志による保存の署名3141通が市に提出されました。

北九州市は、ここを破壊しこの地に複合施設を建設予定)
このように歴史的に貴重であり価値ある初代門司駅遺構ですが、北九州市は、2024年(令和6年)6月21日に、議会で、この施設を破壊し、この場所に複合施設を作ると議決しました。

(イコモスから緊急声明文が出された!)
それをうけ6月25日(火)には、国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の諮問機関「国際記念物遺跡会議(イコモス)」が、旧門司駅遺構を破壊しそこに複合公共施設を作ると決めた北九州市に対し、イコモスの会長テレサ・パトリシオ博士による遺構破壊への懸念声明文がパリより出され北九州市などの関係機関に送付されました。
そして翌日の26日10時半よりイコモス福島綾子先生が北九州市に申し入れをしました。

JR東日本の品川開発プロジェクトの例)
鉄道遺構に関しては似たような例があります。
2020年(令和2年)12月に田町~品川間の高輪ゲートウェイ駅(東京都港区)を中心とした品川開発プロジェクトの計画エリア内で、約150年前の明治初期に鉄道を敷設するため海上に構築された高輪築堤が出土しました。
そこでJR東日本は、出土した高輪築堤の2カ所を現地保存し、一部の建物計画を変更することを発表しました。
ですから、初代門司駅遺構も同じように現地保存ができないかと考えています(予算的な事や建築学の事を考えず、全くの素人考えで恐縮ですが・)
(一部では旧門司駅の工事始まる)
2024年(令和6年)6月25日には、旧門司駅の遺構が見つかった公共施設の建設予定地に隣接する工事現場で、給排水管の敷設する工事が始まり、貴重な遺跡が壊されています。
ここは、北九州議会が2024年(令和6年)6月21日に、「破壊して、この場所に複合施設を作る」と議決した場所ではありません、その隣です。
下の2枚の写真は6月27日の現場様子です。レンがかき出されています

歴史的に貴重な初代門司駅の遺構。。
このまま工事が行われ
壊されて消滅していくのでしょうか・・・