日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

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大河ドラマ 光る君へ 第26話「いけにえの姫」ネタバレあらすじ 

平安時代の宮中を舞台にしたドラマ「光る君へ」。
数十年と大河ドラマを見ている立場から言うと、この「光る君へ」は、合戦や戦闘シーンが少ない「変化球」であり、平安時代の宮中を舞台にした恋愛ドラマです。

第26話のタイトルは「いけにえの姫」。恐怖怪談かホラー映画のタイトルです。
では、ストーリーを見ていきましょう。

(仲むつまじい夫婦)
ときは、998年。災害が続く都をまたも大地震が襲います。
まひろが住む家も地震により倒壊しますが、経済力のある夫・宣孝のおかげで修繕・修理が進みます。以前のように生活が苦しかったのならたいへんだったでしょう。宣孝はまひろの元に通い、お土産を持参するという仲むつまじい様子です。
でも、この仲むつまじい様子が後半への伏線です。

(娘を入内させよ)
天変地異が立て続けに起きる事に対し一条天皇に天文密奏が渡されます。
天文密奏とは、「異常な天文現象が起きた時の占いの結果」のことで、天皇以外の者が読むことは許されませんでした。
そして、この文書で一条天皇は、一連の異常な現象が自分のせいだと知ります。

立て続けにおきる天変地異の状況に、左大臣藤原道長は、陰陽師安倍晴明から、

「この天変地異は一条天皇の不徳の致すところであり、これを治めるためには長女の彰子を天皇と婚姻するために内裏に入る=入内させるしかない」と進言されます。

つまり、天皇が定子に、かまってばかりで、政をおろそかにするので、罰が当たり天変地異が頻発する、それを防ぐには定子ではなくもう1人中宮をむかえよう、ということでしょうか?
しかし、天皇が新しくきた中宮に定子同様にうつつを抜かしたら、同じ事だと思いますが・・。
あるいは定子の色を薄めることで天変地異が遠のくというのでしょうか??

このとき彰子はまだ11歳と幼く、大人しく無口な娘で、この晴明のアドバイス道長は戸惑います。

話を聞いた道長の姉・藤原詮子道長に「身を切れ。道長もついに血を流す時が来たということよ」と促します。

(いけにえ)
道長の妻で、彰子の母の倫子はこの申し出に反対します。
道長が「これはいけにえだ。手塩にかけた尊い娘ならばこそ値打ちがある」というと
倫子は「どうしても彰子をいけにえになさるのなら、私を殺してからにしてくださいませ」と言います。

倫子は母・藤原穆子(むつこ)の居室を訪ね、相談します。
すると穆子は「入内すれば不幸になると限りませんよ。ひょっこり中宮様が亡くなったりしたら?何がどうなるかは、やってみなければわからないわよ。中宮様は帝よりも4つもお年が上でしょ?今は首ったけでもそのうちお飽きになるんじゃない?先のことは分かりませんよ」と。。まあ、何と言う発言・・・正直というかズケズケ言うというか・・・

(ふぬけ状態の一条天皇
内裏では、一条天皇が体調を崩し蔵人頭藤原行成が看病しています。
定子が戻ってきて、ふぬけになった一条天皇は政への気力を失い、譲位し、定子と一緒に暮らしたいと藤原行成に相談します。

行成は「中宮様以外の女御様方をまんべんなく愛でられ、1日も早く皇子をもうけられませ。帝に皇子が生まれなければ、東宮・居貞親王様の息子である敦明親王が次の東宮となり、一条天皇のお父上・円融院様の血筋は途絶えてしまいます」と進言します。
行成にその説き伏せられ、一条天皇は譲位を思いとどまりました 。この行成の説得は、道長からの命令によるものでした。
しかし、天皇、しっかりして欲しいです。。

(彰子の入内)
道長の進言で「長保」と改元された正月。
一条天皇が密かに中宮・定子を内裏に招き入れます。そして道長は、その定子が懐妊したようだと言う知らせを安倍晴明から受けます。

さらに晴明は「11月頃に皇子が生まれるだろう」と予言します。晴明は道長に「呪詛しますか」と尋ねられますが道長は拒否します。
道長は同じ月に彰子を入内させようと決め、帝に申し入れをしました。
一条天皇は思い悩みますが、最終的には承諾します。

道長は倫子に彰子の入内が11月1日に決まったことを伝えます。
夫・道長の苦境を救うために、倫子は彰子の入内をOKし「自分も尽力して彰子が光り輝けるような後宮を作る」と表明しました。

長保元年(999年)2月9日。
入内に先駆けて彰子の裳着(もぎ・女性の成人の儀)の儀式が盛大に行われました。

(夫婦ケンカ)
震災に遭った子供達を救おうと、まひろは災害孤児たちに食べ物を分け与えていますが、宣孝はいい気がしません。

宣孝は、まひろが書いた文を、自慢したくて周りの人に見せたと言い、それを聞いたまひろは怒り、文を返してくれるまで会わないと告げます。

ある日、まひろの弟・藤原惟規(のぶのり)が清水の市で、宣孝がとても若い女性に絹の反物を買ってやっていたのを見かけたと告げます。
まひろはこれにも怒り夫婦の間では、許す許さない、別れる別れないという文が飛び交います。
しかし、当時は一夫多妻で通い婚が主流の時代。ある意味これはしかたがないのです。

こうして、ケンカしたもののそこは夫婦。宣孝が久しぶりに、まひろのもとを訪れ、清水の市で見つけたという絹の反物を持参してきました。

すると、まひろは「若いおなごに反物を買われたついでに私にも、ありがとうございます。多淫は体に良くないそうでございますよ」と攻撃的口調で言います。

宣孝が「わしが悪かった。せっかく久しぶりに来たのだ。もっと甘えてこぬか」と言うと、まひろは「私は殿に甘えたことはございません」と断ります。
「お前のそういう可愛げのないところに左大臣さまが嫌気が刺したのではないか?わかるなぁ」といいます。こうなるともう口げんか。。
まひろは宣孝に香炉の灰を投げつけます。
もう無茶苦茶・・こうして、宣孝はますます足が遠のきます。

この状況を見た、いとは、まひろに宣孝への詫び文を書くよう勧めます。
石山寺
まひろは、石山寺で出会った右大将道綱の母・藤原寧子(やすこ)を思い出します。「蜻蛉日記」の作者である寧子は、道長の父・藤原兼家の妾であり、その日々についてまひろに語ってくれた人です。

そこで、まひろは、乙丸、福丸、きぬを誘って石山寺に参詣します。

そして、まひろは石山寺でお経を唱えます。

そこに、なんと道長がまひろのもとにやってきたのです。ありゃりゃ・・
次回に続く