大分県北部の都市・中津市にある中津城は、
福岡県と県境にある中津川の河口沿いにあります。
水門から海水が入り、堀の水かさが
潮の干満で上下する水城です。
高松城、今治城とともに日本三大水城の1つです。
(中津城の歴史)
中津城は400年以上前からあるお城です。
1588年(天正16年)、黒田官兵衛(孝高)が中津城の造営を開始。
1600年(慶長5年)、黒田氏の代わりに入城した細川忠興が、黒田官兵衛の計画を引き継ぎ、ほぼ現在の中津城の形が整う。
1632年(寛永9年)、細川家に代わって譜代大名の小笠原長次が入り、城下町の整備を行う。
1717年(享保2年)、譜代大名の奥平昌成が中津城に入城。
1871年(明治4年)、廃城
現在の中津城天守閣は1964年(昭和39年)に建てられたものです。
しかし城の石垣には築城当時のものが残っています。
(400年以上前の石垣が残る)
中津城の周りを歩いていたら気になる光景がありました。
下の写真を御覧下さい。写真右側の石垣、なんか気になりませんか?
近くに寄って見ると・・・。
明らかに、真ん中に石垣の右と左のつなぎ目がありますよね。
この石垣には、黒田氏時代のものを細川氏が拡張した継ぎ目を見ることができます。
さらに近づいて見ると・・
右側の石垣が黒田時代の石垣で、左側の石垣が細川時代のものと言われています。
そして黒田氏時代に築かれた石垣は、現存する九州最古の石垣です。
(神籠石を加工した黒田時代の石)
川沿いから北側にかけては、黒田時代の石垣で、ここには四角く加工された石が多く使われています。
実はこの黒田時代の石垣に使われている石は、近くの福岡県上毛町にある7世紀の遺跡「唐原山城」の石で、神籠石(こうごいし)と呼ばれています。
直方体で一辺の断面がL字にカットされているのが特徴です。
一方、細川時代の石垣は丸みを帯びた自然石です。
中津城は、中津川の水を利用した綺麗な水城だったことが予想されます。
【中津城公式HP】
中津城は中にもは入れます。
入場料は高校生以上400円、中学生以下200円です。
<<中津城への行き方>>
JR中津駅から徒歩15分
住所:大分県中津市二ノ丁本丸
中津川沿いにたつ中津城。
中津川とお堀を計算して建てたお城です。