日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

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久留米師団司令部

日本最強と呼ばれた久留米師団の司令部跡を訪問!!

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(「さんしゃ」の街:福岡県久留米市

 福岡県の中部にある久留米市。福岡市、北九州市に次ぐ福岡県第3の都市。

人口30万人くらいで、昔から商業都市として栄えてきました。

年配の人に聞くと、「久留米は、かつて「さんしゃ」の街と言われていた」と

言います。

さんしゃ…それは「自転車」「医者」「芸者」。

「自転車」は地下足袋から世界のタイヤ企業に成長したブリジストンが生まれたから。

ちなみに、ブリジストン創始者は石橋さん。石橋さんの石はストーン、橋はブリッジ。だから、合体して ブリッジストーン=ブリジストンとなりました。

「医者」は、久留米大学医学部があることから。ここが運営する久留米大学付設高校は日本有数の超名門高校として有名です。

そして最後の「芸者」は、陸軍の師団司令部があったことから軍都としての賑わいを

みせ、その関連で芸者さんもたくさんいたから。

 久留米の師団司令部は1907年(明治40年)に開庁されました。

日露戦争後の1907年(明治40年)に編成され、その後一時廃止されましたが、支那事変(日中戦争)勃発後の1937年(昭和12年)に再び編成された。陸軍最強と言われた第18師団で、菊の御紋の使用を許されていて、他の師団からも一目置かれていたそうです。

 

(日本最強の師団司令部跡地は税務署になっていた)

 その陸軍18師団の司令部が、かつてあった場所には、現在、久留米税務署があります。

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そして、正面から向かって右側には、当時の門柱が残されています。

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↑この写真の右、松の木がある近くに当時の門柱と碑があります。

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 ソテツが植わっている場所、その右が師団司令部の門柱、左が碑です。

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18師団司令部で実際に使われていた門柱です。

真ん中の文字は風化していて見にくいのですが、

よく見ると「久留米師団司令部」と書かれています。

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その隣には、歴史が書かれた碑がありました。

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書かれている文字を簡単に解読すると、

明治40年10月にこの地に久留米師団司令部を置いた。日独戦(第一次大戦の事)、満州事変,支那事変、大東亜戦争で活躍したが、昭和20年の終戦を経て昭和23年には久留米税務署庁舎になり、昭和36年には新庁舎に変わり建物も取り壊された」と推移が書かれています。

 

 その裏側には、1961年(昭和36年)に久留米税務署が新庁舎になった時の建立者の名前が刻まれています。久留米市長、元久留米師団長、福岡国税局長、久留米税務署長などの名前が読み取れます。

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 第18師団司令部が久留米税務署になってからは、その裏地には税務署職員の官舎が建てられていましたが、今では更地になり税務署の駐車場となっています。

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その奥には中学校が見えます。当時は軍関係の建物があったそうです。

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日本陸軍最強と言われた18師団、

その司令部があった場所には、

当時を物語る「久留米師団司令部」と刻まれた門柱が

唯一残っているだけで、

他には何も名残を示す物が見られませんでした。

 

<<陸軍18師団司令部跡地への行き方>>

西鉄久留米駅から徒歩15分程度

住所:福岡県久留米市諏訪野町2401番地 久留米税務署内