日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

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掩体壕:千葉県館山市

 


 

太平洋戦争中に戦闘機を収納した掩体壕(えんたいごう)が、終戦から70年以上も経過した今も

原型をとどめたまま残っていました。

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 掩体壕(えんたいごう)とは、戦闘機などをその中に入れ、敵の空襲や攻撃から守る目的で造った収納庫のことです。

敵が航空機を使って空から偵察や空襲をした場合を想定して、上空から見てもわからないように、その上には土をかぶせたり、草や木を植えるなどのカモフラージュをしています。

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また、爆撃を落とされても壊れないように分厚いコンクリートで固めた頑丈な造りとなっています。

 

このような掩体壕は日本各地に造られましたが、その多くは壊されたため、今も当時の姿を残しているものは、わずかです。

 

 

(軍都・館山)

1945年(昭和20年)の終戦時、日本には54の海軍航空隊がありました。

東京湾の入り口にある千葉県館山市には、1930年(昭和5年)6月に館山海軍航空隊ができ戦闘機、艦上攻撃機、水上偵察機などの基地として発展していきます。

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基地の近くには、1941年(昭和16年)に、対空射撃や陸戦隊の戦術を教える軍人教育機関の館山海軍砲術学校が設立されます。

さらに1943年(昭和18年)には、航空兵器整備のための洲ノ崎海軍航空隊も作られました。

また館山湾は艦隊の停泊地として使用されます。

 

このように館山周辺は、軍事施設が集中し、その関係の産業が栄える「軍都」といて発達していきます。

軍関係の施設、飛行機の部品や弾薬などを保管するための倉庫や建物がつくられました。

 

太平洋戦争末期になり戦局が悪化し、米軍による本土空襲・そして本土上陸の可能性が高まると、館山海軍航空隊は、帝都・東京や東京湾を守るための基地としてその重要性格がますます増していきます。

 

(宮城地区に残る掩体壕

館山海軍航空隊の掩体壕は、千葉県館山市の赤山地下壕がある頼忠山から10分ほど西側に歩いた宮城地区に1基だけ残っています。

ここは田んぼや民家があるのどかな風景の中にあります。

この宮城地区の掩体壕は海軍のゼロ戦零式艦上戦闘機を格納したと思われます。

おっさんが近くに立つと、その大きさがわかると思います。

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館山市宮城には、終戦時には掩体壕が13基あったそうですが、今ではこの一基だけしかのこってなく、館山市全体でも掩体壕は、わずかに二基しか残ってないそうです。

 

<<館山海軍航空隊 宮城地区の掩体壕への行き方>>

館山駅東口よりJRバス1番線乗車 約10分 豊津橋下車徒歩10分

住所:千葉県館山市宮城

館山市公式HP】


館山市観光協会HP】

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