渋谷の待ち合わせスポットとして、日本や海外でも有名なハチ公像。
4月21日は、1934年(昭和9年)渋谷駅前に
初代「忠犬ハチ公像」が設置された日です。
ハチ公は、戦前に実在した秋田犬です。
亡くなった大学教授の飼い主の帰りを、東京の渋谷駅で10年近く待ち続けたハチという名前の犬で、ハチ公の愛称で呼ばれていました。
最初にハチ公の銅像が建てられたのは、1934年(昭和9年)4月21日で、除幕式にはハチ公自身も出席したそうです。
しかし、太平洋戦争が終わる前日の1945年(昭和20年)8月14日、日本政府による金属回収で初代ハチ公の銅像も回収されてしまいます。
この金属回収は、資源不足に陥った日本が戦車や飛行機などの武器を造るために少しでも金属を獲得しようと出した命令で、鍋、カマ、弁当箱、学生ボタンまで供出されました。
その後1948年(昭和23年)8月15日に、現在ある2代目のハチ公像が建てられました。
(ハチ公ストーリー)
ハチ公の飼い主は、旧東京帝大(現東大農学部)の上野栄三郎博士で、日本で初めて
農業工学教授となった人です。
上野博士が生きていた頃は、ハチ公は、上野博士が外出するときは玄関や門の前で見送ったり、帰宅時は渋谷駅まで送り迎えに行くこともあったそうです。
1925年(大正14年)、上野博士は、職場で脳溢血が原因で倒れ急死してします。
ハチ公は上野博士が亡くなった日も、ジョンとエスという一緒に飼われていた2匹の犬とともに渋谷駅まで上野博士を迎えに行っていました。
先生の死後、ハチ公は、転々とした後、上野先生の自宅に出入りしていた植木職人のもとに預けられます。
その職人に預けられた後も、ハチ公は上野先生の帰りを迎えるため何度も渋谷駅に向かったそうです。上野先生はよっぽどハチ公を可愛がっていたんでしょうね。
1934年(昭和9年)4月21日で、渋谷駅でハチ公像が完成し除幕式が行われますが、その式にハチ公自身も出席します。。
そして上野先生がなくなった10年後の1935年(昭和10年)3月8日に11歳で死亡します。
(この像ができた時代)
ハチ公増ができたのは1934年(昭和9年)です。
何が起きたか見てみます。
3月1日には、満州国で帝政が実施され溥儀が皇帝になります。
【溥儀の満州国について書いたブログはここ】
5月30日には、日露戦争の日本海海戦を指揮した東郷元帥が亡くなられ、
6月には国葬が実施されます。
【東郷神社について書いたブログはここ】
8月にはドイツで国民投票があり、勝利したヒトラーが合法的に総統になります。
11月には、ベーブルースを中心とするアメリカの野球チームが来日
2代目ハチ公像は、
渋谷のシンボルとして70年以上人々を見守っています。
<<渋谷ハチ公像への行き方>>
JR渋谷駅ハチ公改札口すぐ