日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

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5月30日  沖田総司 死す

 

 2010年5月30日 (日)新撰組沖田総司死す

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 1868年(慶応4年)5月30日、新撰組・1番組組長の沖田総司が命を落とします。

 

幕末の坂本龍馬高杉晋作新撰組は根強い人気があります。

その中の新選組の1番組長が沖田総司です。この人も人気が高いです。

 

(剣の使い手:沖田総司) 

沖田総司は、幕末に白河藩足軽小頭の家に生まれます。

その後、江戸・市ヶ谷にあった近藤勇の天然理心流道場・試衛館で剣術を習い、

10代で免許皆伝、18歳で師範代を務めます。

 

新撰組結成)

1863年、沖田は、近藤勇土方歳三とともに上京し、芹沢鴨壬生浪士組を結成、8月に壬生浪士組新撰組と名を改めます。

しかし、内輪もめが起き、近藤勇と一緒に対立する芹沢一派を暗殺します。

沖田の剣の腕は相当なもので、新選組では剣術指南役を務めます。

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翌年1864年には有名な池田屋事件を起こします。

 

池田屋事件

 幕末、武士の間には、外国人排斥の攘夷派、天皇中心の政治を目指す勤皇派と幕府派、さらに外国の勢力を積極導入指示派・・・・などさまざまな思想が入り組んでいました。

 そんななか、長州藩尊王攘夷派は,肥後藩士の宮部鼎蔵(みやべ ていぞう)を

中心に,公武合体派の皇族、公卿,大名らを暗殺して蜂起する計画を立てます。

 

その具体的な戦略を練るために1864年6月5日に、京都の旅館・池田屋

長州藩土佐藩などの尊王攘夷派志士30名が集結します。

そこを京都を見回っていた新撰組近藤勇沖田総司などが襲撃したのです。

この戦いで長州藩吉田稔麿(よしだ としまろ)、肥後藩宮部鼎蔵(みやべ ていぞう)ら9名が死亡、20名以上が逮捕されました。

この池田屋のシーンで有名なのが、結核に冒された沖田が、血を吐きながら相手を斬るところです。

 

おっさんは この池田屋事件がおきた場所に行きました。

池田屋は居酒屋の池田屋になっていて、従業員が、青色の新撰組のハッピを着て働いていました。

池田屋について書いたブログはここです】

 

1865年に起きた新撰組山南敬助の脱走事件で、沖田は捕まった山南が切腹する時の

介錯をしています。

 

新撰組の1番隊長として活躍を続ける沖田ですが、肺結核に冒されていきます。

1867年、新撰組の屯所が西本願寺から不動堂村に移転します。

この頃から、沖田の病状は深刻なものとなっていきます。

【不動堂村について書いたブログはここです】

 

沖田総司は、鳥羽伏見の戦いで敗れたあと江戸に戻ります。

そして、新撰組甲陽鎮撫隊と名を改め、甲府へと出陣します。

しかし、沖田は病のため甲府まで行く事はできず、年号が「明治」に代わる半年前の1868年5月30日、20代で病没します。

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ということで、5月30日は、

新撰組1番隊長の沖田総司が死去した日です。