幕末の1863年、3月13日、
京都の治安維持を担当する新撰組が結成されました。
1862年に結成された浪士組のうち京都に残留した芹沢鴨(36才)ら13名が京都守護職の松平容保の監督下に入り、新たに新撰組を結成しました。
新撰組は、将軍の護衛、京都の治安維持、さらには討幕派への武力行為も行いました。
(浪士組から新撰組へ)
元々は1862年に庄内の浪人・清河八郎が浪人懐柔のための組織作りを江戸幕府に建議します。それを福井藩主・松平慶永や土佐藩主・山内豊信が尽力し清河八郎・山岡鉄太郎らが中心となり実現しました。
2月23日京都壬生村新徳寺に駐留していた浪士組は幕府の解散命令を受け江戸へと戻ります。しかし京都にとどまった水戸藩脱藩の芹沢鴨や農民出身の近藤勇らは27日に
京都守護代職の支配下の士として遇されることになり、それが新撰組誕生へとなりました。
剣術指南役は沖田総司です。
新撰組には、
・武士道に反しない事
・脱退、勝手な金策や訴訟扱い、私闘の禁止、
この上記を破った場合は切腹という局中法度書が定められました。
新撰組は、1864年6月5日に有名な池田屋事件を起こします。
【池田屋事件について書いたブログはココ】
さらに、その翌年には 大阪で起きたぜんざいや事件で活躍します。
【ぜんざい屋事件について書いたブログはココ】
【局長・近藤勇の生家、その周辺について書いたブログ】
【近藤勇の墓について書いたブログ】
【剣術指南役・沖田総司終焉の地と言われる場所
について書いたブログ】
幕末に京都を中心に活躍した新撰組ですが、時代の流れで、やがれ消滅していきます・・。
京都駅近くには、「新撰組まぼろしの屯所」と呼ばれる場所がありました。
【新撰組幻の屯所について書いたブログはココ】
・・・ということで
3月13日は、幕末で活躍した
新撰組が結成された日です。