6月1日は気象記念日です。
1875 (明治8)年6月1日に内務省地理寮量地課が、東京赤坂葵町に日本初の気象台である
東京気象台(現在の気象庁)が設置され、東京で気象と地震観測が開始されました。
このことを記念して6月1日が「気象記念日」が制定されました。
その後、1883年(明治16年)には、日本で初めての天気図が作られます。
翌1884年(明治17年)の6月1日には、日本で最初の天気予報が出されます。
その予報は、「全国一般風の向きは定まりなし、天気は変り易し、但し雨天勝ち」と
いう、今と比べるとなんとも曖昧なものでした。
そしてこの日から毎日全国の天気予報が1日3回のペースではじまりました。
(軍と気象の関係)
戦前、天気予報や気象データは陸軍が管轄していました。
天気予報や気象データは軍隊が、攻撃や護衛をするときの重要な情報で、軍事作戦と
密接に関わっていたからです。
例えば、敵陣を攻撃するために焼夷弾を落とすときには、乾燥して強い風が吹く日を狙いました。風が吹く方向から焼夷弾を落とせば風に乗って火が広がり被害が拡大するからです。
これは、1945年(昭和20年)3月10日に起きたB29によるアメリカ軍の東京大空襲の時にも応用されています。
【東京大空襲について書いたブログはここです】
同様に、海から上陸するときには波の高さや風の強さを調べ、穏やかな日を選びます。その日が上陸が速やかに進むからです。
1941年(昭和16年)12月の太平洋戦争開戦と同時にラジオや新聞から天気予報などの気象情報が消えました。
【1941年(昭和16年)12月8日開戦の日のラジオ放送内容紹介】
前述のように気象データは、敵の攻撃材料の情報となります
天気予報などの気象情報は軍事作戦に深く関わるとして、軍が国民から隠すよう命令したのです。
気象情報は、傍受を恐れさらに徹底化されました。
当時東京の測候所には、全国から気象観測データが、毎日、送られ、それをもとに天気図が作られ天気予報を発表していました。情報漏れを防ぐため開戦を境に、観測データはすべて暗号化されました。
(日本唯一の気象神社)
JR高円寺駅南口から歩いてすぐの所にある氷川神社、その中に気象神社があります。
日本で唯一の気象神社です。
(6月1日に気象神社で「気象祭」)
気象神社では、毎年6月1日の気象記念日にあわせて、「気象祭」と言う名前の例大祭を行っています。
これは、御祭神の八意思兼命に対して神恩感謝の心を奉告する大切な神事です。
おっさんが電話で確認したところ、今年2020年(令和2年)も14時から例大祭が開催されるそうです。
今年はコロナウイルスの関係で、神事のみを行うそうで一般の人の参拝も可能だそうです。
おっさんはこの日が仕事があり見に行く事ができません。非常に残念!!
(消される運命だった気象神社)
しかし幸運にも見落とされたことから残存しました。
その経緯から「生き残る」「縁起がいい」と言われ、今は、気象予報士を目指す人の
合格祈願や、旅行・運動会など屋外で行うイベントでの快晴を祈願する人、雨男・雨女を返上したい人などが参拝に訪れているそうです。
(下駄の絵馬)
この気象神社には、鼻緒が赤と黄色の下駄の絵馬があります。下駄の絵馬、非常に珍しいですね。
皆さんも下駄を飛ばして「あした天気になーれ!」と遊んだことがあると思います。
あれにちなんでいるそうです。
気象観測が始まって150年、今や天気予報の情報はきめ細かくなり、地域も細かいところまで予報できるようになりました。
・・・ということで、6月1日は気象記念日です。
<<気象神社への行き方>>
住所:東京都杉並区高円寺南4-44-19
気象神社 公式HP