日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

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遠の朝廷、太宰府政庁跡・都府楼跡を歩く

九州の政治の中心であり、海外の交流拠点で、
さらに軍事的にも重要な立場であった

太宰府政庁跡=都府楼を訪問!!

(遠の朝廷・太宰府

大宰府政庁は、7世紀後半から奈良・平安時代にかけて九州の政治・文化の中心でした。また地理的要因から、中国や朝鮮半島のなど東アジアの国々との外交を行う国際的な都市としての立場や防衛の拠点として役割も担いました。
太宰という名称が文献で始めて登場するのは「日本書紀」推古17年(609年)の筑紫大宰で、当時、太宰は、筑紫だけではなく東国・播磨・吉備・周防に置かれていました。
しかし701年の大宝律令制定によって、筑紫太宰府以外は全ては廃止されました。

(都と同じ造り)
古代大宰府の街並みは、太宰府政庁を起点として、南へ延びる朱雀大路を中心に碁盤の目のように道路が走り、街並みを区画する条坊制が広がっていたと考えられます。
(なお、東西を結ぶ列を条、南北を結ぶ列を坊と呼びます)
これは唐の都・長安をモデルにした平城京と同じです。

太宰府政庁は、現在残っている礎石やこれまでの調査から、正面幅が
28.5m、奥行き13.3mほどの規模の建物だったことが分かりました。
下の写真は太宰府天満宮のすぐ近くにある 九州国立博物館に展示されている太宰府の模型です。

12世紀頃に大宰府政庁が廃絶となり、その後、次第に荒廃していきます。
太宰府がいつ頃まであったかですが、そのことを記述した史料がないのでわかりません。
現在、太宰府政庁跡は、広い原っぱになっています。

 

(3つの石碑)

太宰府政庁跡には、中央には大きな石碑が3基あります。


左側にあるのは、1880年(明治13)年に建立された 「太宰府址碑(だざいふあとひ) 」です。 

この石碑には、大宰府の由来のほか、太宰府跡が時代の流れとともにすたれてしまい、今は礎石を残すのみとなった事を嘆き、御笠郡(みかさぐん)の有志がこの碑を建立したことが記されています。

 

碑文の文字を書いたのは、明治時代の代表的な書家の日下部鳴鶴(くさかべめいかく)、本名東作(とうさく)です。

また、碑文の上に書かれた「太宰府址碑」の字は、皇族で福岡県令をつとめた有栖川宮熾仁親王の筆とされます。

 

 

中央にある碑は、1番ふるいもので1871年(明治4)年に建立された「都督府古趾碑(ととくふこしひ)」です。 


この石碑は、現在の福岡県大野城市,当時の御笠郡乙金村(おとがなむら)で大きな庄屋に生まれた高原善七郎が、大宰府跡が荒れ果ててしまい人々から忘れ去られていくことを憂慮し1871年(明治4年)に自費で建立しました。
ちなみに善七郎は建立の翌年亡くなります。
この高原善七郎と言う方は現地調査などを行い太宰府周辺の文化財の調査や保存に力を入れています。

石碑にある「都督府(ととくふ)」の文字は、古代中国の役所の名称です。
大宰府政庁跡は、都府楼跡とも呼ばれていますが、これは菅原道真漢詩「不出門」で大宰府を中国風に「都府(とふ)の楼には・・・」と表現したことに由来しています。

 

向かって右側 1914年(大正3)年に建立された太宰府碑(だざいふひ)です。    


この碑文を作ったのは儒学者・医者で、かつ福岡藩西学問所・甘棠館(かんとうかん)の学長を務めた亀井南冥(かめいなんめい)です。

南冥はすでに江戸時代の1789年11月に文章を完成させていましたが、文の一部が体制批判であるとされ、石碑建立を中止されてしまいました。
その後、関係者の尽力で1914年(大正3)年に石碑が建立されました。

この石碑は、こうした経緯から並んでいる3つの中で一番新しく建立されたものの、
石碑の文章は最も古く作られています。

 

とにかく、太宰府政庁跡は広いです。
写真におさめるとこうなります。


広すぎてなんだかわからないので 3つの碑がある場所から左右に分けて撮影しました。
礎石の跡があるのがわかります。

 

水路もありました。

 

今は礎石しかありませんが、広大な敷地だったことが推測されます。

 

太宰府市公式HP 太宰府政庁】

 

<<太宰府政庁跡への行き方>>

太宰府天満宮から徒歩30分程度

住所:福岡県太宰府市観世音寺4-6-1

 

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広大な原っぱに立ち、
この広大な敷地で
外交や政治が行われたんだなあと感慨にふけました。