「瓜食めば子ども思はむ
栗食めばまして偲はゆ・・・」で有名な
山上憶良の「子等を思ふ歌」の歌碑が
太宰府にありました!
(偶然発見)
大宰府政庁跡から令和の由来になった坂本八幡宮に向かい歩いていたら、観世音寺に行く手前で歌を刻んだ石碑を発見しました。
よく近づいて刻まれた歌を確認すると。。。
あの有名な「瓜食めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲はゆ」でした!!
おおお!!感動!!
(蘇る中学時代の国語の授業)
この歌は中学の国語の授業で学びました。
当時、おっさんは九州にある地方都市に住んでいました。この国語の先生がとても素晴らしい先生で教え方がうまいし、話しも面白く、人格者でもあり、おっさんの物の考え方などに大きな影響を与えてくれた先生で、毎回国語の授業を楽しみにしていました。
その先生の授業でならったのがこの歌です。
この山上憶良の歌は現存する最古の和歌集である万葉集におさめられている歌です。
瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ
何処より 来りしものそ 眼交にものな懸りて 安眠し寝さる
銀も金も玉も何せむに勝れる宝子に及かめやも
(おっさん訳)
瓜を食べると子供のことが思われる。栗を食べるとさらに一層、子供のことが偲ばれる。子供はどこから来たものであろうか。眼前にむやみにちらついて安眠をさせてくれないことか。
銀も金も玉も子供の愛に比べると何になろうか。いや、どんな秀れた宝も子供に及ばない。(反語)
この歌はいいですよねええ。
子供を大事に思う気持ち・愛情を表現するのに,歌の中に「瓜」と「栗」を出し、似たような表現を重ね、強調しています。うまいですよね。。
(山上憶良)
この歌の作者・山上憶良は奈良時代初期の歌人・貴族です。
660年に生まれ遣唐使として唐も渡っています。聖武天皇の皇太子時代には、教育係もしていました。
726年頃には60才で筑前守に任命され、その2年後には大宰府で大伴旅人と出会います。
この歌は、728年7月21日、憶良69歳のときに詠まれた歌とされています。
<<太宰府 山上憶良「子等を思ふ歌」歌碑への行き方>>
太宰府天満宮から政庁跡・坂本八幡宮に行く途中の、太宰府学校院跡にあります。
太宰府市内には、この山上憶良をはじめ大伴旅人、柿本人麻呂など万葉歌人が詠った歌碑がところどころにあります。下をクリックしてどうぞ。
教科書に出てくる山上憶良が、
おっさんと同じようにこの太宰府周辺を歩いていた。
山上憶良がいた場所に1300年の時を超え
おっさんもいる・・なんと素晴らしいことでしょう!!