2月23日は、天皇誕生日です。
(天皇誕生日変遷)
おっさんは昭和生まれなのですが、これまで「昭和」「平成」「令和」の3つの時代を生き、天皇誕生日は3回経験しています。
昭和の時代は4月29日。これは、昭和天皇の誕生日を記念し国民の祝日となりました。
このころは、まだ週休2日制ではなく、土曜日は午後から休みの「半ドン」でした。
4月末から5月頭にかけては、暦上は休みが飛び飛びで、「飛び石連休」と呼んでいました。
「天皇誕生日」は昭和天皇がお亡くなりになった後は、「みどりの日」になり、
その後「昭和の日」になりました。
ちなみに「みどりの日」は、「昭和の日」ができたときに5月4日に移動しました。
そのころ、時代は、土日が休みになる「週休2日制」が浸透し、
4月29日から5月5日まで、有給休暇を合体させると連続休暇が取得できるように
なりました。
「ゴールデンウイーク」、「大型連休」と呼ばれます。
次に平成の世の中になってからは、天皇誕生日が12月23日になりました。
これは、12月24日のクリスマスイブや学校の冬季終業式などと連続になっていました。
しかし、時代が令和になってからは、12月23日は普通の日になりました。
(現在の天皇陛下は126代目)
学術的には、初代神武天皇からしばらくの天皇は神話のお話と言われています。
天皇家は、25代の武烈天皇が跡取りがないままお亡くなりになったことから、越前にいた血のつながりがある継体天皇(450年?~531年?)を呼んできて、26代天皇として
皇位につけました。
継体天皇の3人の皇子はそれぞれ、安閑天皇(27代)、宣化天皇(28代)、欽明天皇(29代)になり、(当時は皇位の兄弟相続が主であった)欽明天皇のご子孫が現在の天皇家につながっています。
途中、皇位継承に関しては、古代では兄弟相続もありましたし、壬申の乱や南北朝分裂があり、あるいは女性天皇も出るなどが起きたために、完全な長男による直系相続ではありませんでしたが、それでも同じ血は現代まで受け継がれてきました。
これは世界的に見ても例がない事です。
https://www.kunaicho.go.jp/about/kosei/keizu.html
このことからもわかるように、日本の皇室は世界でもずば抜けて長い歴史を持っています。
欧州を見ると、王族が誕生したのは18~19世紀前後からで、途中で入れ替わることや
外国から来た人がその国の王になるケースもありました。
中国などでは普通の人が天下を取って以降、自分で皇帝を名乗った例もあります。
フランスのナポレオンもコルシカ島の市民からパリの皇帝になりました。
それと比べると日本の皇室が長い歴史を持ち、かつ伝統を受け継いでいる事は間違い
ありません。
日本の天皇は、海外では「皇帝(Emperor)」という称号です。
英国王室など世界の王室が、「King」、「Queen」と呼ばれるなかで、世界の中で日本の皇室だけが「Emperor」と呼ばれています。
(初代神武天皇)
日本書紀や古事記によると、神武天皇は宮崎の地に住んでいて 45歳の時に日向市美々津から船で東征し、紀元前660年に奈良の樫原で即位し初代天皇になったと記されています。
【神武天皇の宮崎の皇宮跡について書いたブログはココ】
【神武天皇を祀る宮崎市の皇宮神社について書いたブログはココ】
(天皇に関するお話)
126代の天皇を見てみると発見があります。
①女性天皇
女性天皇は、聖徳太子のおばにあたる推古天皇(聖徳太子の父の用明天皇の妹)が最初で以後今まで8人10代の女性天皇がいます。
8人いるのに10代となるのは、皇極天皇と斉明天皇が同一人物で2回天皇になった、すなわち重祚したからです。
【初代女帝の推古天皇について書いたブログはココです】
②重祚
重祚した天皇、いわゆる2回天皇になった同一人物は、皇極天皇=斉明天皇と孝謙天皇=称徳天皇の2人のみです。
③最年少の天皇
最年少天皇は、生後7か月の六条天皇です。六条天皇は平安時代の天皇で後白河上皇(のちに法皇)の孫です。しかも2歳8か月で天皇の位を譲り、史上最年少の上皇になります。
④民間人に殺害された天皇
崇峻天皇は、飛鳥時代の天皇で豪族蘇我馬子の娘の河上娘を妻としましたが、馬子に命じられた東漢駒に殺害されます。東漢駒は崇峻天皇の死後、河上娘を嫁としますが、
馬子に殺害されます
この後に推古天皇が即位します。
安徳天皇は1185年、壇ノ浦の戦いでおばあさん(平清盛の奥さん)の二位尼に抱きかかえられて海に入水心中します。
おばあさんとはいえ、二位尼は民間人で貴族でもありません。清盛の奥さんです。
ですから「一般人に殺害された」と考えると、安徳天皇だけとなります。
【安徳天皇について書いたブログはココ】
【崇峻天皇について書いたブログはココ】
⑤2人の天皇が存在した時期
これまでの歴史の中で天皇が2人存在した時期が何度かあります。
有名なのは南北朝時代で、南朝と北朝でそれぞれ王朝ができ、それぞれの天皇が即位し、別々の年号でした。
これは1392年の南北朝統一まで続きます。
また、あまり知られていませんが、源平合戦の時期の平安末期の1183年に、安徳天皇が在位しているものの、異母弟の後鳥羽天皇も後白河法皇によって即位したため、1183年から1185年までの2年間は、2人の天皇が即位して、2つの年号がありました。
安徳天皇は、後白河法皇と平清盛の双方の孫という素晴らしい血筋です。
また、後鳥羽天皇は、その後上皇になり1221年に承久の乱を起こします。
さらに江戸幕府幕末には幕府側が東武天皇を担ぎ上げたという話もあります。
⑥在位をなかった事にされた気の毒な天皇
即位し在位したにもかかわらず あとから在位してなかったことにされた天皇も
います。
【なかった事にされた光厳天皇を書いたブログはココ】
⑦転んで亡くなった天皇もいます
【転倒がもとで亡くなった四条天皇を書いた
ブログはココ】
⑧最短在位期間
鎌倉時代に即した仲恭天皇という方は在位78日間で、鎌倉幕府の執権北条義時によって退位させられました。
⑨最長在位期間
飛鳥時代以降に限ってみると、昭和天皇が在位62年で最長です。
1986年(昭和61年)には、天皇在位60周年で記念切手や記念硬貨ができたのを覚えています。10万円金貨も出ました。
⑩天皇家を乗っ取ろうとした将軍
室町幕府第3代将軍の足利義満は自分の長男を4代将軍にし、次男は天皇にしようと動きます。そうなると、足利義満は将軍と天皇の双方の親になりまた、自分の息子が天皇になることで男系でみて天皇家=足利家になる可能性がありました。
しかし寸前で足利義満が死去し、この計画は実現しませんでした。
2月23日は天皇誕生日です。