聖徳太子の命日2月22日ですが,2021年(令和3年)は没後1400年目という節目です。
その日に、聖徳太子が建てた寺の1つ大阪市にある四天王寺に行きました。
この日は、太子にちなんだ「二才まいり」が開かれていました。
(二才まいりとは)
飛鳥時代の662年2月22日に亡くなりましたが、色々と聡明な伝説を持つ人です。
その1つとして、聖徳太子が2才のときに「東に向かい合唱し南無仏と唱えた」という伝説があります。
そんな聖徳太子のご利益を授かり、太子みたいに頭がよくなろうということで2月22日の聖徳太子の命日に「2才まいり」という行事が、四天王寺の聖霊院(太子殿)で
行われます。
場所は、下の地図を見て下さい。
(2月22日限定の智慧の輪)
2月22日は当日限定で、入口の門に智慧の輪が設置されました。
おっさんもご利益が欲しいので合掌して潜り抜けました。
当日聖霊院では、午前9:30から10:00まで聖徳太子を偲び舞楽が奉納されます。
続いて、「二才まいり」が行われます。
まず、ご本尊の南無仏太子二歳像を前に子供が並びます。
そして、僧侶が太子のように聡明な智恵が授かるようにと願い、牛王宝印(ごおう ほういん)という木槌のようなものを子供の頭に当てます。
また、この聖霊院(太子殿)には、奥殿という立派な建物がありました。
奈良の法隆寺の夢殿を思い出しました。
(四天王寺)
四天王寺は、大阪市天王寺区四天王寺にある和宗の総本山で、聖徳太子建立七大寺の
1つです。
『日本書紀』によれば、聖徳太子が摂政になった1400年前の推古天皇元年(593)、
物部守屋と蘇我馬子の合戦に勝利した、聖徳太子が四天王を安置するために建立したと
伝えられています。
戦いに敗れた神道派の物部氏に対し、聖霊院(太子殿)の奥には祠があります。
境内の全敷地面積は33,000坪で、聖徳太子を祀っている「太子殿」や、近畿三十六不動尊第一番の霊場の「亀井不動堂」、日本庭園の「極楽浄土の庭」などがあります。
伽藍は、南から北へ向かって中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ、それを回廊が囲む、「四天王寺式伽藍配置」です。
ちなみに現在の伽藍は1963年(昭和38年)に再現したものです。
毎年4月22日には、聖徳太子を偲んで「聖霊会舞楽大法要」行われ、国の重要無形民俗文化財になっている「天王寺舞楽」が舞われます。
【四天王寺公式HP】
・・というわけで聖徳太子の命日の2月22日、
しかも没1400年目となるこの日に
「太子二才まいり」に参加してきました。
【四天王寺公式HP】
<<四天王寺への行き方>>