1918年(大正7年)、7月22日 富山県の漁村の主婦たちがコメの県外への積み出しを
実力で止め、米の安売りを要求しました。
米騒動の始まりです。
(米価上昇の2つの要因)
米騒動が起きた1918年(大正7年)、この年にはドイツが降伏し第一次世界大戦が終結
します。
欧州で起きた世界大戦のおかげで軍事物資が売れ、日本は好景気になります。
そして絹織物などの日本製品の輸出先がアジアやアフリカに広がり、また戦地となった欧州からの輸入が途絶えたため日本国内の工業生産高が大幅に伸び、重化学工業、
特に鉄鋼の生産量が大きく増加し工業国としての基礎が築かれました。
しかし、同時に好況による物価の上昇が起きます。
また、このころ、ロシアでは革命が起き革命政権が誕生し、その影響を受け各国で社会主義運動の機運が高まりました。
その影響が及ぶことを恐れた日本、アメリカ、イギリス、フランスなどは、シベリアに出兵します。
そのシベリア出兵をきっかけとした米の買い占めが起き、コメの値段が大幅に上昇します。
物価上昇と買占め・・この2つの要因で日本人の主食の米の値段が上昇しました。
これは庶民には死活問題です。
そこで、米の安売りを求める運動=米騒動が起きます。
そして、このことが新聞で報道されると米の安売りを求める民衆が米屋などを襲撃する事件が全国的に広がり、その鎮圧に軍隊が出動する事態にまでなりました。
この騒動はおよそ50日間にわたって続き、参加した人は70万人とも言われています。
この騒動は、米騒動と言われ、民衆のパワーの大きさを示すものでした。
この米騒動で軍閥内閣の寺内正毅内閣が倒れ、初めての本格的政党内閣となる原敬内閣が組織されました。
これまで選挙権を持つのに10円以上の納税額が必要でしたが、その額を3円以上に引き下げ有権者数を大幅に増加させます。
その後、政権が変わりますが1925年(大正14年)には、25歳以上の男子全員に選挙権が与えられる普通選挙法が成立します。
7月22日は富山の漁村で米騒動が始まった日です。