(後醍醐天皇の人生)
後醍醐天皇の人生を見ると「激動の人生」という言葉が思い浮かびます。
色んな事件に遭遇しています・・・。
また、天皇中心の政治を作ろうと何度も何度も画策します。
後醍醐天皇は、鎌倉時代の1318年に31歳で即位します。当時は、両統迭立の時代で
大覚寺統から出ました。
後醍醐天皇は、なんとか幕府を討幕しようと画策します。
1324年には、天皇親政を復活としようとして討幕を計画したという正中の変がおきます。
さらに1331年には、政権を武家から公家にもどそうと、鎌倉幕府打倒の兵を挙げます(元弘の変)が失敗に終わり、皇位を奪われ廃帝となり隠岐に流されます。
【隠岐の摩天崖】
後醍醐天皇が沖に流されたとき、後醍醐天皇のあとには、光厳天皇が即位します。
皇位を奪われた後醍醐天皇は、承久の乱を起こした後鳥羽上皇と同様に隠岐に流されたわけですが、島でおとなしくしていたわけではなく、漁船の中に隠れて隠岐を脱出します。
そして、新田・足利などの力により、本格的に鎌倉幕府討幕運動を行い1333年に鎌倉
幕府は滅亡します。
【鎌倉幕府滅亡について書いたブログはココ】
鎌倉幕府滅亡と同時に、後醍醐天皇は、自分が廃帝になった後に幕府から天皇に任命されていた光厳天皇を廃帝とし、再び自分が天皇となります。
この光厳天皇は、後醍醐天皇から「即位はなかったこと」にされてしまい
現在、歴代天皇の中には含まれていません。実に気の毒です。
(建武の新政)
1333年、後醍醐天皇は、ようやく念願かなって京都で天皇中心の政治を実現します。
教科書に出てくる「建武の新政」です。
しかし、それも長く続かず1336年に足利尊氏により光明天皇が即位し、後醍醐天皇は
再び廃帝となり幽閉されます。
幽閉された後醍醐天皇は機を見て脱出し、吉野にうつり朝廷を作ります。
南北朝時代の始まりです。
【吉野朝廷について書いたブログはココ】
吉野朝廷から少し歩いた吉水神社。ここには、かつて南朝の皇居が置かれていました。
【南朝の皇居について書いたブログはココ】
吉野にはその後、京都奪還を願いながらもその夢はかなわず1339年8月16日吉野宮にて52歳で崩御します。
後醍醐天皇陵は吉野にあり、陵がある如意輪寺の説明によれば 京都奪還を望んでいた天皇の意志に基づき、日本で唯一の北面の陵ということです。
【後醍醐天皇陵について書いたブログはココ】
吉野と南北朝時代の関係はここにまとめています。
(お勧め本)
後醍醐天皇の激動の人生を知りたいならこの本がお勧めです。
この本は本当に面白いですよ!!
ということで、8月16日は