JR新橋駅前にあるSL。1972年昭和47年)10月に鉄道開業100周年を記念して設置されたものです。
1872年(明治5年)旧暦の9月12日、新橋ー横浜間での我が国初の鉄道の運行が始まりました。新暦に換算すると10月14日です。
当日、新橋駅では式典が催され、明治天皇を乗せたお召し列車が新橋駅から横浜駅に
向けて出発しました。
当時の新聞記事です。
【出典:新聞集成明治編年史 第一卷:昭和11年発行:デジタル国会図書館
https://dl.ndl.go.jp/pid/1920323/1/275)
(鉄道は近代化の動脈)
江戸幕府を倒し誕生した明治政府は近代的な産業を育てることで「富国」を実現使用と考え、そのために殖産興業に取り組み交通の整備が始まります。
それの1つが日本初の鉄道、新橋―横浜間の開業です。
(2日がかりで歩いた距離を53分で通過)
このとき開通した、新橋―横浜間の総距離は29キロで平均時速はおよそ32キロ。
所要時間は53分でした。
ちなみに、江戸時代、馬車でこの区間を走った場合には4時間は、かかります。
また徒歩だと1泊2日を要します。それが列車だと1時間弱で行けるようになりました。
当時の新橋ー横浜間の運行は、1日9往復。
運賃は1番安い下等の料金が50銭、ソバが1杯5厘だったのでソバを100回食べた料金で
ようやく下等の列車に乗る事ができたという計算です。
(新橋の変遷)
このとき開業した新橋駅の旧駅舎は、現在の新橋駅から5分ほど歩いた場所にありました。
1914年(大正3年)に東京駅の開業で東海道線の起点が新橋から東京駅に移ります。それにともない新橋駅は汐留駅に名称が変わり、烏森駅(からすもりえき)が新橋駅に改称されます。
1915年(大正4年)に創刊された「東京百建築」に掲載された新橋停車場。実に立派な建物です。
【1915年(大正4年)に創刊された「東京百建築」に掲載された新橋停車場
(国立国会図書館ウェブサイトより)】
(新橋駅は震災で崩壊)
立派な新橋駅ですが、1923年(大正12年)におきた関東大震災で焼失しました。
そしておよそ80年後の2003年(平成15年)に、「旧新橋停車場」として当時と同じ場所に再現され建物内には「鉄道歴史展示室」ができています。
(9月12日鉄道開業式)
日本初となる鉄道の開業式は,当初は重陽の節句にあわせて9月9日に予定されていました。しかし,雨天のため9月12日に延期となりました。
開業式が行われた新橋駅、横浜駅では雅楽が演奏され、近衛砲隊日比谷練兵場で101発の祝砲が、さらに品川沖の軍艦からも21発の祝砲が撃たれました。
(日本初の列車に乗った人々・・歴史上の人物が勢揃い)
さて、開業記念式典で走った列車はイギリス製で客車9両。
この列車に誰が乗ったか気になりませんか?
調べてみたら歴史上の人物が勢揃いです。
まず国家元首の明治天皇が3号車に乗車されました。なお3号車には、有栖川宮熾仁親王と太政大臣三条実美なども明治天皇と共に同乗していました。
その警護として1号車と2号車には近衛護衛兵が乗車していました。
4号車は西郷隆盛、大隈重信、板垣退助、後藤象二郎、副島種臣、そのほかアメリカ、イタリアなど代理行使とその通訳。
5号車は井上馨、黒田清隆、陸奥宗光、江藤新平、伊地知正治、山県有朋、西郷従道など。
6号車には、大河ドラマの主人公。渋沢栄一、西南戦争で熊本城を死守した谷千城の姿がみれます。
そして7号車8号車9号車には侯爵や政府高官・役人が乗っていました。
(町触)
鉄道開業に先立つこと4ヶ月、 仮開業を前に同年5月4日には町触が出されています。これは当時の状況をあらわしていて興味深いです。
【東京都公文書館HP、鉄道開業を前に出された町触】
(鉄道の発達で産業・文化が普及)
新橋ー横浜間の開業に続き神戸・大阪間、大阪・京都間、小樽・札幌間など主要な港と大都市を結ぶ鉄道が開通します。沿岸では蒸気船の運航も始まり、鉄道とあわせ物資の流通が活発になります。また鉄道を通して中央の文化が運ばれていきました。
初の鉄道が開業した当時、日本では太陰暦を使っていました。日本初の鉄道ができた
9月12日を現在の太陽暦にした10月14日がその日が「鉄道の日」になっています。
(参考)
ココのHPにも詳しく写真付きで鉄道開業の様子が紹介されています。
【参考文献】
日本初の本格的鉄道開通に関しては下記の書籍がお勧めです。
・・というわけで
9月12日は日本初の鉄道・新橋ー横浜間が開通した日です。