晴明は921年、摂津国阿倍野に生まれたと言われ、和泉国の信太の森の白狐が母親であるという伝説があります。
ただし生地については、奈良県桜井市安倍とする伝承もあります。
晴明は、陰陽師の賀茂忠行・保憲父子に陰陽道を学び、天文道を伝授されたといいます。
(40歳を越えてからの出世)
安倍晴明は、960年に40歳で天文得業生(陰陽寮に所属し天文博士から天文道を学ぶ職)であったときに村上天皇に占いを命ぜられます。
そして50歳頃、天文博士に任ぜられます。
979年、59歳の時晴明は、皇太子時代の花山天皇の命で那智山の天狗を封じる儀式を
行ったという記録がありますが、このころから花山天皇の信頼を受けるようになったらしく、記録にも晴明が占いや陰陽道の儀式を行った様子が登場します。
花山天皇の退位後は、一条天皇や摂政や関白として一大権威を築いた藤原道長の信頼を集めるようになります。
993年2月、一条天皇が急な病に伏せった折、晴明が禊を奉仕したところ、たちまち病は回復したため、この行いに対し正五位上に叙されます。
また、「御堂関白記」には、1004年7月に深刻な干魃が続いたため、晴明に雨乞いの
五龍祭を行わせたところ、雨が降り、これを一条天皇は晴明の力によるものと認め被物(かずけもの)を与えたことが記されています。
このように朝廷内で陰陽師として活躍し高い地位を築いていく晴明は、1005年9月26日に85才でこの世を去ります。
安倍晴明に関する神社は複数ありますが、おっさんは
京都にある晴明神社と大阪阿倍野区にある安倍晴明神社に足を運んだことがあります。
<<京都にある晴明神社>>
【晴明神社について書いたブログはココ】
<<大阪にある安倍晴明神社>>
【安倍晴明神社について書いたブログはココ】
陰陽師、この世界は、なんか興味がわきますよね。。
その第一人者の安倍晴明が死亡したのが
9月26日です