2月7日は北方領土の日です。
江戸時代末期の1855年(安政元年)2月7日に「日魯通好条約」が調印されました。
この条約で、日本と帝政ロシアとの国境は、「択捉島とウルップ島の間」に画定されました。
このことからも、北方領土は日本の領土であることが国際的にも明確です。
その歴史的な意義と、平和的な外交交渉によって領土の返還を求める北方領土返還要求運動の趣旨から、2月7日が「北方領土の日」に設定されました。
また、2月は「北方領土返還運動全国強調月間」とされています。
(北方四島)
北方四島は、国後島、択捉島、歯舞諸島、色丹島の4つで日本の領土でしたが
第2次大戦の終戦後にソ連に占領され現在もロシア領土になったままの地域です。
ソ連軍は日本が無条件降伏した8月15日以降も戦闘を続け、8月18日以降には千島列島に侵攻。9月5日に択捉島、国後島、色丹島、歯舞島のいわゆる北方領土を占領します。
9月2日は、東京湾に浮かんだアメリカのミズーリ号の上で降伏文書調印式ですが調印以降も、ソ連軍による攻撃は継続されています。
【「北方四島の概要」(外務省)(北方領土問題の概要|外務省 (mofa.go.jp))より抜粋】
【外務省公式HP:北方領土問題の概要】
北海道の納沙布岬。アイヌ語の「ノッ・サム(岬の傍ら)」から地名が付いた岬で、
この岬は離島を除けば日本の最東端で、ここからは北方領土の歯舞群島を見ることができます。一番近い場所にある貝殻島までは3.7キロメートルです。
(望郷の岬公園)
納沙布岬には「望郷の岬公園」が整備され、「四島(しま)の架け橋」と名づけられた巨大なモニュメントがあります。
このモニュメントは北方領土の早期返還を祈念するために作られたシンボル像です。
北方四島を表現した、長さが35m、高さ12メートル余りの巨大な建物で、択捉島、
色丹島、歯舞群島、国後島の四島をアーチで結びつけたデザインになっています。
その中央の下の部分には1972年(昭和47年)アメリカから返還された沖縄県波照間島で
採火して運ばれた「祈りの火」が四島返還を願って燃えています。
また付近には、2016年(平成28年)12月26日に開館した根室市北方領土資料館があります。この資料館は第二次世界大戦以前、日本人が択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の北方4島に住んでいたという事実を伝えていくため、当時の生活の様子や暮らしぶりなどを紹介しています。館内では北方領土ジオラマコーナーやシアタールーム、島の
生活に関する資料やパネルが展示されています。
<根室市北方領土資料館の基本情報>
住所:北海道根室市納沙布33番地2
電話番号: 0153-28-2445
休館日:水曜日(水曜日が祝日の場合はその翌日が休み)
年末年始12月31日~1月5日まで休み
但し、5月~10月は無休
開館時間:9:00~17:00 入館無料
戦前、日本の領土になった地域を見ますと
樺太の南半分は1905年(明治38年)に結ばれたポーツマス条約
朝鮮半島は1910年(明治43年)に結ばれた「韓国併合ニ関スル条約」
さらに委任統治となった南洋諸島は1922年(大正11年)のベルサイユ条約・・
とそれぞれ国際条約に基づき日本の領土になっています。
しかし、北方領土はソ連軍の武力による占領、しかもポツダム宣言受諾後の無条件降伏後の侵攻され、その状態のままソ連が領土化しています。
1956年(昭和31年)10月、モスクワで日ソ共同宣言が調印され、その中で
ソ連が日本との平和条約が締結された後、歯舞・色丹島を日本に引き渡すことを規定しています。
しかしいまだに日本とソ連のあとに誕生したロシアとの間で平和条約が締結されていません。
【「北方四島の概要」(外務省)(北方領土問題の概要|外務省 (mofa.go.jp))より抜粋】