今回は素晴らしい本を紹介します。
「黒人に最も愛され、
FBIに最も恐れられた日本人」
という本です。
日本とアメリカが戦った太平洋戦争・・。
この太平洋戦争中に、アメリカで黒人組織と連携し騒乱を起こし
米国内を混乱に陥れようと画策した日本人がいたのです!!
今回は日本史の教科書には出てこない、この話を紹介します。
(中根中という男)
まず1人は日本人・中根中(なかね なか)です。
中根は、大分生まれのキリスト教徒で渡米後の1933年(昭和8年)デトロイトにあらわれ、黒人街で活動を始めます。
デトロイトは自動車産業で有名ですが、当時から栄えていて、この街には職を求めて多くの人々が移住します。1925年(大正14年)頃には全米第4位の人口を誇る大都市に
成長しました。
当時アメリカ社会では、黒人は白人と同じトイレやバスを使うことが禁じられるなど
黒人に対するひどい差別が蔓延していました。また黒人に対する偏見や差別が平然と
行われていて黒人は肩身が狭い思いを続けていました。
そんな中、中根はデトロイトを拠点に、白人が支配するアメリカ政権の打倒を訴えて
黒人たちを扇動し、黒人結社「ディベロプメント・オブ・アワー・オウン」(DOC)などを組織します。
一方、黒人たちは、非白人国の日本からきた中根に熱い視線を注ぎます。中根は黒人たちから「小さな少佐」「東洋から来た神」と崇められます。
中根は「日本が欧米と戦争をして白人支配の世界を打ち破るから、それに連動し立ち上がろう」と英語で訴え、黒人たちの支持を広げ、その数は一時は10万人もの動員数を誇ったといます。
しかし実は中根は、日本政府の後ろ楯はまったくない個人活動で、しかも本格的に活動を始めたのは60歳を越えてからです。
さらに中根は、日本政府や右翼組織・黒龍会との関係を匂わせていますが、これが全くのハッタリで、実際は何も関係がなく、活動資金も自前(!)で調達したらしいです。
このバイタリティ、行動力!!
やがて、黒人を暴動へと導こうとした首謀者の彼は、アメリカ当局に見つかり、日本へと強制送還されます。
その後は、退去処分直前に結婚した黒人の妻を通してアメリカ国内の反白人組織を遠隔操作します。
しかし、この黒人の妻が活動資金を使い込んでしまい中根の活動が行き詰まります。
おいおい!!
中根は組織を立て直すためにアメリカに再び入国しますが1939年(昭和14年)に逮捕されます。
(大戦中アメリカの兵器産業の要デトロイト)
逮捕されても中根が巻いた黒人による反白人運動のタネは発芽します。
1941年(昭和16年)に日米開戦が始まるとデトロイトにある自動車工場はそのまま軍事工場となり太平戦争中の米軍を支えます。
中根が獄中にいる、1943年(昭和18年)6月20日にデトロイトで黒人を中心に暴動が
起き、この暴動は3日間続きます。
この暴動には中根の活動や中根の組織が関係していると言われています。
この暴動は、最期は軍隊が送り込まれ鎮圧しましたが、この暴動では死者34人・負傷者600人以上という大惨事を引き起こしました。
また、このデトロイト暴動で戦争中のアメリカの兵器生産拠点であったデトロイトが
3日間機能停止状態になりました。
(疋田保一)
2人目の日本人は疋田保一です。
疋田は留学生としてニューヨークのコロンビア大学に籍を置きますが、黒人の文化や芸術に魅せられ、やがて日本政府の支援を受け黒人暴動を画策するもの、その工作は中途半端で終わったようです。
(明石元二郎になれず・・・)
日露戦争で、明石元二郎が帝政ロシア打倒を画策し諜報活動を行い、それがロシア国内での暴動を誘引し、結果として帝政ロシアが日露戦争を継続することの大きな障害となり、日本に有利に動きました。
当時アメリカ社会で大きな課題だった黒人差別、その黒人解放を目的で、もし日本政府が本格的に潤沢な資金を与え中根中や疋田保を支援し、大規模な黒人工作活動が行われていたら。。。
日本が後ろから後を引き、デトロイトのような暴動が全米各地で立て続けに起き、また黒人が米国内で大規模な反乱を繰り返していたら・・・
歴史は変わっていたかもしれませんね。
【参考文献】
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