【日本橋の馬車鉄道:1900年(明治33年)発行:日本之名勝より:国立国会図書館ウェッブサイトより転載】
6月25日は、
1882年(明治15年)に
東京で馬車鉄道が開通した日です。
(6月25日新橋日本橋駅間で鉄道馬車開通)
1882年(明治15年)6月25日、 芝区の新橋駅前から日本橋区の日本橋までの、およそ2.5キロの区間に日本初の鉄道馬車が開通しました。
東京馬車鉄道という名の会社が運営していました。
この鉄道馬車は、2本の鉄製レールの上を、2頭の馬が客車を引くスタイルで、定員は24~27人。鉄道馬車の進む前に少年がいて、彼が鈴を鳴らして、通行人に馬車が接近することを知らせ人をよけていました。
当初の停留所は汐留本社、新橋、終着地のみで、その間には停留所はなく、利用者が
降りたい所を車掌に伝えれば自由に下車できました。また同様に乗地帯人が手を上げれば鉄道馬車が止まって乗ることができたという、まあ、のどかな乗り物でした。
その年の10月1日には日本橋 - 上野 - 浅草 - 日本橋間の環状線が完成し、さらに拡張していきます。
【日本橋通りの鉄道馬車:1900年(明治33年)発行「旅の家つと、第29」より
:国立国会図書館ウェッブサイトより転載】
(鉄道馬車の料金)
鉄道馬車は区間を広げ、新橋から全区間の所要時間は2時間程度。新橋から浅草橋経由浅草広小路までが46分、新橋から万世橋経由浅草広小路までが42分、浅草広小路から
上野広小路まで16分という記録があります。
料金は3区分制を採っており一区あたり一等車3銭、二等車2銭でした。
やがて東京馬車鉄道は、東京電車鉄道、東京自動鉄道が三社合同し、資本金1,500万円の巨大企業、東京市街鉄道となります。
【上2つの写真とも眼鏡橋鉄道馬車停車場(万世駅停車場)「東京景色写真版」より
:国立国会図書館ウェッブサイトより転載】
(日本各地に広がる)
鉄道馬車は庶民の輸送手段として全国各地に広がります。
【日本橋通りの鉄道馬車:1900年(明治33年)発行「旅の家つと、第29」より
:国立国会図書館ウェッブサイトより転載】
(終焉)
1903年(明治36年)、東京市街鉄道は、電車に転換し1910年(明治33年)10月には社名を「東京電車鉄道」と改めます。
やがて時代の推移とともに馬車鉄道は姿を消し、都電、市電へと移行していきます。
【日本橋の馬車鉄道:1900年(明治33年)発行「日本之名勝」より
:国立国会図書館ウェッブサイトより転載】
・・・ということで
6月25日は、
1882年(明治15年)に
東京で馬車鉄道が開通した日です。
【日本橋の馬車鉄道:1900年(明治33年)発行「日本之名勝」より
:国立国会図書館ウェッブサイトより転載】