日中戦争中の1937年(昭和12年)7月29日に
北京の北にある中国の通州に当時存在していた
冀東防共(きとうぼうきょう)自治政府内で、
日本人惨殺事件がおきました。
通州事件です。
この通州事件では多くの日本人が悲惨な方法で
殺されました。
(冀東防共自治政府とは)
冀東防共自治政府は1935年(昭和10年)12月25日に樹立され 1938年(昭和13年) 2月
1日に中華民国臨時政府に合流されるまで中国河北省に存在した政権です。
当時の中国は各地に軍閥がいて、さらに各国の租借地もある状態で混とんとしていました。「防共」の文字があるように共産主義勢力に対する政府です。
冀東防共自治政府は、長城の南の中国軍が入る事ができない非武装地帯に作られました。
周囲の地方自治を求める民衆の動きを背景に 殷汝耕により成立したとされますが、
日本側の特務機関の工作活動により設立された傀儡政権だという意見もあります。
ちなみに殷汝耕の婦人は日本人で、冀東防共自治政府の「冀」は河北省のことです。
(通州事件発生!!)
1937年(昭和12年)華北地区で日中が全面的に戦っていた7月28日夜、日本軍の飛行機が親日的だった冀東防共自治政府の保安隊に間違って爆弾を投下します。
これを攻撃と誤解した冀東防共自治政府の保安隊=中国人部隊が、翌29日に日本軍の
通州守備隊・通州特務機関及び日本人居留民に対し報復攻撃を行います。
下の写真は冀東防共自治政府警護団の幹部教習所で、攻撃で受けた弾痕がその凄さを
物語ります。
(猟奇的な殺害、処刑)
通州守備隊は包囲下に置かれ、通州特務機関は壊滅します。さらに日本人居留民の家を一軒残らず襲撃し、略奪・暴行・強姦などを行ないます。
当時の日本人居留民は約380人ですが、その大部分は惨殺されました。
女性は強姦後、裸体で陰部を露出したまま射殺された方や、陰部を銃剣で刺されていた方もいました。日本人男子の死体は首に縄をつけて引き回した跡がありました。
目玉をくりぬかれ上半身は蜂の巣のように突き刺されていた男性や鼻に針金を通された子供、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦等の死体、6人数珠つなぎにして引き回された形跡のある死体もあり、付近の池は血で赤く染まっていたそうです。
(終焉)
このようなむごたらしい殺戮行為が各地で繰り広げられた通州は、臨時航空兵団が空からの支援を開始した結果、ようやく中国保安隊の主力が退いたものの、残留部隊は依然攻撃を継続しました。
生き残った人たちは、むごたらしい手口に口をそろえて「これは第二の尼港事件だ」と語ったそうです。
尼港事件に関しては下をクリックして御覧下さい。
(10年前には漢口でも・・)
この通州事件の10年前の1927年(昭和2年)同じく中国大陸で日本人に対するむごたらしい殺戮が起きています。漢口事件です。その詳細は下をクリックして御覧下さい。
・・7月29日、邦人が残虐な方法で殺戮された通州事件、
このことは忘れずに語り伝え残していきたいと思います。
※ここに掲載した写真はすべて事件当時の物であり、パブリックドメインです。