戦前に海外の邦人が虐殺された事件が
複数起きています。
大多数の市民が惨たらしい殺され方を
しています。
日本史の教科書では教えることが少ない
これらの事件・・。
私達の先輩方がどのような苦難を受けたか、
忘れずに伝えたいと思います。
壁に書かれた「大正九年五月24日午后12時 忘ルナ」の文字。。。
この日に、共産パルチザンは中国人の妻妾となっていた14名以外の、生き残った日本人全員を残虐に殺害し、さらに退却するときに尼港の街に火を放ちます。
長期間における殺戮と虐待・・・尼港事件の詳細は下をクリックして御覧下さい。
②1927年(昭和2年)4月3日 漢口事件
漢口事件は、中国軍の一部と中国群衆の一部が中国・漢口にあった日本人租界地に侵入し、掠奪、放火・破壊活動を行い、日本領事館員や居留民に暴行を加えた事件です。
複数の妊婦の方が惨たらしく殺害されています。
漢口事件についての詳細は下をクリックして御覧下さい。
通州事件は、日中戦争中の1937年(昭和12年)7月29日に北京の北にある中国の通州に当時存在していた冀東防共(きとうぼうきょう)自治政府内で起きた、日本人惨殺事件です。この通州事件では多くの日本人が非常に悲惨な方法で殺されました。
通州事件に関しての詳細は下をクリックして御覧下さい。
尼港事件、漢口事件、通州事件・・・
いずれも邦人が略奪され家を焼かれ、
惨たらしい殺され方をしています。
何が起きたのか。。
忘れずに伝え残して行きたいと思います。
※今回の写真は、国立国会図書館などからの引用で、全てパブリックドメインであり
著作権は消滅しています。