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大河ドラマ「鎌倉殿の13人」ネタバレあらすじ 第38話「時を継ぐ者」

鎌倉殿の13人 第38話「時を継ぐ者」は、
「嫁さんが口出ししすぎるといけない!」・・と
いうテーマで
初代執権の北条時政が鎌倉を去る話です。

今回は時代で言うと1205年9月の出来事です。世帯平均視聴率は11・7%でした。
ではストーリーを見ていきましょう!!

 

(画策:娘婿を鎌倉殿に・・)

初代執権・北条時政が、妻りくの勧めで、三代源実朝の代わりに娘婿の平賀智雅を将軍に擁立しようと動きます。

この平賀智雅はは、源氏一門の平賀義信の子です。源氏の血筋なので鎌倉殿になるのはおかしくありません。朝雅は京都守護として上洛し後鳥羽上皇の重用を受けていました。
朝雅政権樹立を画策した時政は北条館に実朝を拉致します。
和田義盛は自分の館から実朝が三浦勢に連れていかれたため、あとを追っていきます。三浦義村からは小四郎が来たら自分は寝返るつもりだと言われますが、疑問が不完全解消のまま北条の館に入っていきます。

 

(将軍譲位を迫る時政) 

時政の館では、北条時政とりくが、実朝に、鎌倉殿の座を娘婿・平賀朝雅に譲るよう
迫りますが、実朝は応じません。
将軍を軟禁し、退位を迫る・・この時政の行為は立派な謀反です。

 

そんな時、屋敷の外から時房の叫び声が聞こえます。「父上!館はすでに囲まれています!」
義時率いる幕府軍が、時政邸を包囲していたのです。
義時の息子の泰時が「これからどうするのか」聞くと、お前は口を出すなと言われてしまいます。あーあ
義時は「太郎、これが俺の覚悟だ。鎌倉を守るためなら父も子もない」と言いそれを聞いた泰時は「父上は間違っておられます」と答えますが、八田知家に、いい加減わかってやれと言われます。泰時立場なし・・。

 

(どうか命だけは・・・)

まったく勝ち目のないこの戦いの最中に時政の妻・りくは、三浦義村によって仮装し
北条館を脱出し政子の元に向かいます。そこで、りくは、時政が死ぬ覚悟であり、悪いのは自分だ、時政を助けて欲しいと政子に頭を下げます。

依然膠着状態が続く時政の館。その門前に政子が駆けつけ、弟の義時に「子が親を殺すようなことがあってはならない」と言い、さらに娘として父の命乞いをします。

義時は、これまでの謀反人の処置と同様に時政の首を取ることを考えていて、話しを聞きません。
ここで相手が身内だからといって時政の命を助ければ御家人たちにしめしがつかないからです。
その義時の姿を見て政子は、御家人たちの前で土下座をし、父を許してほしいと願います。

 

(将軍解放)

実朝の軟禁を続ける時政でしたが、勝算がないと悟り、実朝に無理強いしたことを謝り御所に返す覚悟をします。
時政は、実朝を解放するときに和田に「あとは託した。北条を鎌倉を引っ張っていくのはお前だと義時に伝えてくれ」と言います。

ところで、源実朝が解放される前に、和田義盛に対して、「武衛と気安く言うものではない」「私は今はウリン」だと教えています。
ここで解説)
羽林(うりん)とは近衛府のこと、武衛(ぶえい)は兵衛府のことです。

 

実時が解放された後、時政は今回の責任をとり自害をしようとしたところを、八田知家に止められその後、頭を丸めます。

 

(父の気持ちがわからぬ)

謀反が失敗した時政とりくは別々に幽閉されます。
妻の初は「出家で済むでしょう」と言いますが、泰時は父・義時が裏で手を回すかもしれないと危惧します。「父はじさまを討ち取ろうとしたそんな怖い人だ」と…。
それを聞いて初は「それがあのお方が見せたかったお覚悟だったわけでしょ」と言います。
泰時は「あんなものを見せられてどうやって父親を敬えって言うんだ」と答えます。すると初は「何も分かってない。義父上は自分のようになるなって言いたかったの。だからあなたを呼んだの。違う?」・・・このやりとり、迫真のやりとりです。

 

(伊豆へ)

尼御台の政子や、鎌倉殿の実朝。さらに文官たちが、時政の命を助けるように乞い、
結果として時政は出家し、りくと共に伊豆に帰ることとなります。
最後の別れにと義時は時政に処分を伝え泣きながら言います。
「今生の別れにございます。父が世を去る時、私はそばにいられません。父の手を…握ってやることができません。あなたがその機会を奪った…。お恨み申し上げます」


(女の別れ)

一方、政子と実衣は最後になるかもしれないとりくに会いに行きます。
訪ねてきたとき、りくは綺麗な着物を届けさせ着飾ってご満悦でした。
北条に嫁いでからの昔話をする継母りく、政子、実衣。。最後は賑やかな女子会の雰囲気でした。

 

(トウの失敗)

アサシン善児の教え子で有り、また同時に殺害者のトウが義時に呼ばれます。
トウが向かった先は、りくの元。
義時は、時政をそそのかした、りくを暗殺しようと企んだのです。伊豆に流されても時政のそばにりくがいたら、また余計なことを吹き込む可能性があるので、消してしまおうという考えだったかも知れません。

トウは、侍女に扮装し、政子と実衣が帰ったあと、りくに夕餉を運んできます。
そこで刀を忍ばせ隙をねらって討ち取ろうとかまえます。

すると、義時の後妻・のえがやって来て「北条の方々とうまくやっていく秘訣を教えてほしい」と聞きます。
りくは「無理矢理なじもうとしないこと、そして北条に嫁いだことを誇りに思うこと」と答えます。
何気ないやりとりと思われますが、実はここは重要ですね。
ともに野心を抱き北条に嫁いだ女性が今後の物語で入れ替わります。りくが物語から消えたあと、今後はこののえが北条家に色々とやらかしてくれます。


次に三浦義村がやってきてトウの暗殺計画を見破り、トウは手を掴まれます。すかさず逃げるトウを義村は追いかけ、庭で激しいバトルが展開されます。
義村によってトウの刀がはじかれ、素手での対決。これなかなか見応えがありました。義村は終始トウを圧倒します。
最後はトウを後ろから羽交い絞めにし首には刃物を向けます。そして義村は「俺の女にならないか」。と言います。おいおい、なんやねん! 
隙を見てトウは逃げ出します。さて、今後トウはどうなるのでしょうか・・

 

(継母と息子)

伊豆へ去る前にりくが義時と言葉を交わします。この2人のやりとりもなかなかです。

りく「執権を継がなかったそうですね。意気地がないのね、この親子は。手の届くところに大きな力があるなら奪い取りなさい。歯がゆいったらありゃしない。小四郎いいですか。あなたはそこに立つべきお人。これは母からのはなむけ。あら嫌だ。はなむけは送る側がするものでしたね」
すると義時「父上と義母上の思い、私が引き継ぎます。これは、息子からのはなむけです」
そして2人は微笑み合います。うーん・・・
吾妻鏡元久2年(1205)閏7月20日条、 辰の剋に北条時政伊豆国北条に下向しました。

 

(朝雅暗殺)
 2代執権となった義時は京にいる御家人に、平賀朝雅誅殺の下文を出します。
北条政範に毒を盛り、畠山重保に罪を擦り付けた。それがなければ、畠山は滅亡することはなく、我が父は、鎌倉を去ることもなかった」と。
やがて朝雅は追っ手によって見つかり「待ってくれ。鎌倉殿になろうと思ったことなど、一度もない」と言い残すも暗殺されます。
京で大軍勢が動いたのは、義経木曾義仲を追い払って以来のことです。
この動きに後鳥羽上皇は怒ります。
後鳥羽上皇「朝雅討ちは実朝の考えとは思えん」
慈円北条時政が執権の座を追われたと聞いております。さしづめ、その跡取り」
後鳥羽上皇「名は何という」
慈円北条義時

のちに承久の乱で戦う2人の接点ができました。

 

(2代目執権誕生)
父であり、初代執権の時政が鎌倉を去った後、義時は御家人たちを前に「これより、
この北条義時は、執権時政に代わり、鎌倉の政を取り仕切る」と宣言します。
これを聞いた長沼宗政が立ち上がり「そのために時政殿を追放したのか!」と言うと、同時に義村も立ち上がり「おまえは己の欲のために、父親を執権の座から追い落としたのか。どうなんだ」と怒鳴ります。
 義時は「そうではない。時政に成り代わり、私はこの鎌倉を守る。それができるのは、私しかいない」と言います。
すると義村は「確かにその通り。北条義時の他に、御家人たちの筆頭になれる男を俺は知らない」と答えます。
そして義時は「決して私利私欲で申しているのではない!」と叫びます。
実に芝居臭いこのやりとり。。なんか、このやりとりは出来レースじゃないのかな。
まあ、それはともかくついに義時が2代執権の座を手に入れました。
そして以後、 鎌倉将軍は、ほとんどお飾りとなり、執権が最高権力者となります。

 

そして後鳥羽上皇も義時の存在を意識し、物語は朝廷と鎌倉幕府の直接対決となる
承久の乱」へと向かいます。