NHK大河ドラマ「どうする家康」
第2回「兎と狼」の視聴率は15.3%で前週15.4%から
0,1ポイント下降しました。
ではストーリーを見ていきましょう。
(迫り来る信長軍)
桶狭間で、今川義元が討たれます。戦場に、残された松平元康の軍勢120に対して迫りくる織田勢は2000。
20倍近い兵の数で、元康軍は圧倒的不利な状況です。
この苦しい現実に直面し悲観に暮れた家康は「わしはどうすればいいのじゃぁあ」と叫びます。
そしてここで回想です。
家康の母、於大が家臣たちを集め、家康を披露していました。
そして「この子は、寅のごとき猛将になるに違いない!」と言います。
・・・ここで場面は桶狭間の戦いに戻ります。攻めて来る信長軍を前におびえる家康に家臣の数正が、城に残り戦うか、城を捨てて逃げるかだと迫ります。
(苦しい幼少期)
ここでまたまた元康幼少期の回想シーンになります。
1547年8月2日元康は数え6歳の時に人質として今川の元に送られます。しかし途中で織田勢から拉致されてしまい織田家に囚われてしまいます。ここでは信長を含め、みな気が荒く乱暴なものばかり。
元康の父・広忠に信長から今川と手を切れと通達が来ますが、広忠は拒否。そのため元康は首を刎ねられそうになりますが、信長が命を救います。
こうして信長のおかげで死から免れたのですが、信長は元康に荒々しく接します。
信長は、おとなしい性格の家康を兎に例えて「喰ってやろうか?」と脅します。
また、何度も相撲を取っては元康を投げ飛ばすなど、悲惨な日々。
元康は「ここは地獄だ……」と嘆きます。元康の辛い幼少期の記憶が駆け巡りました。
(駿府か岡崎か)
時代は戻って・・・織田信長軍が迫ってきます。
しかし元康は戦うか逃げるか決断ができません。結局、城に残り戦うことにしましたが、なぜか信長軍は去っていきます。
織田軍が去りほっとする家康ですが、そこに岡崎城から城代が討ち死にしたようだという知らせが入ります。城代とは、城主の留守中に代理として城を管理した者のことです。
さて、この状況で駿府に戻るか、それとも岡崎に戻るか?!
元康は妻・瀬名が待つ駿府に帰りたいと考えていましたが、家臣達は家族が心配なので岡崎に行きたいと主張し意見が分かれます。
結局、三河領に入った所で岡崎に行く者と、元康と駿府に向かう者とに別れることになります。
(だまし)
その夜、暗闇のなか元康の所へ松平昌久が軍勢を連れてやってきました。
松平昌久は「迎えに来た、ともに戦おう」と声をかけてきます。しかし元康の家臣は「何度も騙されたから、信用できない」と懐疑的です。
しかし、元康は、その言葉を信じ昌久の前に姿を現します。
と同時に昌久は鉄砲の号令をかけ鳥居忠吉ら多くの兵が負傷し、元康は撤退を余儀なくされます。
そして元康達は登誉上人をたより大樹寺に逃げ込みますが昌久の兵に囲まれてしまいます。
昌久は元康の首を要求しました。
元康は、命からがら逃げてきた負傷兵士たちの姿を見て、自分の責任を感じ、密かに
切腹をしようとします。
そこに介錯しようと現れた本多忠勝から、「主君を守って死にたかった」と悔しそうにはなつ言葉を耳にします。
その言葉を聞いた元康の脳裏には幼き信長との苦い思い出が蘇ります。
「この世は地獄じゃ」と言い元康のことを「白兎」と呼ぶ信長に対し元康は「兎ではない、俺は虎じゃあ!」といい飛び掛かりました。このとき信長は「その目を忘れるな」といい元康を認めます。
元康は、このときを思い出しました。
結局、切腹はせず、昌久の元へ出て「我らこれより、岡崎へ入る。我が首欲しければかかってまいれ。三河には1000の兵がいると、覚悟があればかかってまいれ!儂は虎の子、武神の生まれ変わりじゃ!!道を開けろ」と叫び威圧します。
この元康の気迫に昌久の兵は何もできず道を開けたのでした。
(生まれ干支偽装)
元康の無事の報せを今川氏真が喜んでいました。
元康が生まれた時、於大の方は「元康は虎の年に産まれた」と言いましたが周囲からは、兎の年では?との指摘がありました。
しかし於大の方は虎の年に産まれた事にすればいいと言います。この強引さ!!
さて、何とか岡崎城にもどった元康は「どうしよう~」と泣きそうになるのでした。
(つづく)