日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

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博多の住宅地に今も残る防空壕

福岡市博多区の住宅に防空壕がありました。

※今回は、防空壕を所有する立石様に御協力及び写真撮影・写真掲載の許可を頂きました。立石様有り難う御座いました。

(御自宅の中に防空壕
福岡市博多区にある「立石ガクブチ店」。博多駅から海に向かい30分近く歩いた場所にある100年以上の歴史を持つお店です。

空襲を逃れた町屋造りにある築130年以上の自宅兼店舗の板の間には、今も防空壕へと続く入り口があります。

1944年(昭和19年)から現在の店主の祖父、祖母、母親の3人が自ら穴を掘って手作業で作ったもので翌年に完成しています。
当時、この地区では、ほとんどの家で、床下に防空壕を掘っていたということです。
なお、この防空壕は、現在は、安全を考慮して入り口だけで、奥までは入れません。

(しっかりとした作り)
この防空壕の入り口がある場所は、ガクブチ屋の帳簿をつけたり完成した製品を置く板の間でした。

この防空壕は、入り口が75㎝の正方形、中に入ると8畳、高さ1・6メートルほどの広さで、下には、すのこが置かれ、その上に畳が敷かれていたそうです。柱がたてられ、上は10㎝から20㎝程度のコンクリートで補強されていました。

しかし完成から80年以上が経過し、その間、地震や老朽化、海水の浸水などで大部分が埋もれたために、今は入り口だけです。
(空襲の時はこの防空壕には入らず。。)
1945年(昭和20年)6月19日から20日にかけて福岡は、米軍からの大空襲を受け、博多の町が焼け尽くされ、1,000人以上が行方不明・死亡となったと言われます。
そのとき、この地区の住民は、3月10日に起きた東京大空襲の時に防空壕に逃げた多くの人が中で蒸し焼きになったり、生き埋めになったとのうわさを耳にしていたので、この防空壕ではなく、近くの松林に走って避難したそうです。

 

この防空壕は、立石ガクブチさんで公開しています。事前に連絡すれば誰もが見学可能とのことです。

<<立石ガクブチさんの防空壕への行き方>>

JR博多駅から海方面に徒歩30分程度、サンパレスホテルを目指して歩きます。
医療法人原三信病院があるのでそこを通りきって右折したら左側にお店があります

住所:福岡市博多区大博町

個人宅に残る防空壕。。。誰でも見学できます。

また立石ガクブチ屋さんの皆さんが
いきなり訪問したにもかかわらず
丁寧に説明・案内をしてくれました。
有り難う御座いました。