関門海峡を守る下関要塞の1つ、
手向砲台に行ってきたぜええ。
(手向砲台)
手向山(たむけやま)は、福岡県北九州市小倉北区にある高さ76メートルの山です。明治期にここに造られた手向砲台は、関門海峡周辺に設置された陸軍の下関要塞を形成する1つです。
1887年(明治20年)、関門海峡はその防備のために周辺が要塞化されます。
有事の際には関門海峡に現れた敵艦を砲撃駆逐する目的でした。
関門海峡の要塞化に向けて、まず下関側の田の首砲台と対岸の北九市側の手向山に最初に砲台の設置がはじまります。
手向山には6座の砲台があり24cm臼砲、2門据を配備しました。これ以降、手向山は軍事施設という事で一般人の立ち入りが禁止され陸軍の下関要塞司令部によって終戦まで管理されていました。
しかし、この砲台が実戦に使われることはありませんでした。
(今の残る史跡)
手向砲台跡地は、公園になって整備されています。しかしよく見ると、5つの倉庫、探照灯台座跡、発電所跡を見ることが出来ます。山ですが車でも歩いても登っていけます。
(倉庫、弾薬庫と思われます)
倉庫は、駐車場広場のすぐ近くにあります。第一号から第五号までは確認でき、入口がコンクリートで塞がれています。
第五号は地中に埋まっていました。
この周辺に砲台があったはずですが、単なる広場になってその名残はありませんでした。
(観測所と思われる施設)
駐車場にある倉庫群から車道で下っていくとすぐに対向車をよけるスペースが出てきますが、そこから山のほうに少し歩くとこのような施設が現れます。
ここは、案内板もないために気が付かずに素通りするかもしれないので注意しましょう。
しっかりした建物です。倉庫の横にある階段を上がると・・。
この円盤状の施設。 中を覗くと。。
この施設はいったい何なのか?
観測所だと思われます。というのは、砲座からは直接関門海峡を見渡すことが出来ないために砲台から100メートル離れた場所に観測所を設置して、位置や距離を確認し砲座と連絡する仕組みだったそうです。
(探照灯台座跡)
さらに車道を下っていくと進行方向右手に見えてくるのがこちら。山の中腹にある「探照灯の台座跡」。探照灯とはサーチライトの事。1889年(明治22年)に完成したそうです。。夜間はここから関門海峡を通過する船を照らしました。そして、観測所から確認できるようにしたそうです。
探照灯の台座には目標となる地区の地名が刻まれていました。
(軍事施設以外の手向山)
手向山は宮本武蔵の養子・伊織が養父・武蔵の死後9年たった1654年に顕彰碑を建てた場所でもあります。この頂から武蔵と小次郎が戦った巌流島も見えます。
軍事施設ということで戦前は一般人の立ち入りは禁じられていましたが、現在は市民の散歩コースになっています。
山頂には展望台が2つあり、見晴らしがいいので爽快な気持ちになりますよ。
<<手向山への行き方>>
JR小倉駅より門司方面の西鉄バスにのり15分で「手向山」下車。ここから徒歩7分程度。
北九州市公式HP ただし、宮本武蔵の記述のみで砲台の事は書かれていません。
https://www.city.kitakyushu.lg.jp/kokurakita/file_0080.html