8歳で亡くなった安徳天皇の御所が
北九州の門司にあるというので
おっさんは行ってきました
おっさんは気になっていたことがある。
九州は福岡県北九州市にあるJR門司駅の地名を見たら「門司区大里本町(もじく
だいり ほんまち)とある。
「大里」と書いて「だいり」と読ませる。「おおさと」ではない。「だいり」。
しかも地図を見たら近くに「柳の御所神社」(やなぎのごしょじんじゃ)というのが
ある。「ごしょ」
ん?? 「だいり」と「ごしょ」・・・これは何かあるな・・
そう感じたおっさんは、現地へむかいました。
「柳の御所神社」は門司駅からあるいて数分の小さな神社。ひっそりとしていました。
幟には「安徳天皇 柳の御所」と書いてあります。
調べてみると1183年に平氏が安徳天皇をこの地に連れてきて仮の御所を作り、
京都の御所よろしく、梅の木や柳の木を植えたそうです。
(安徳天皇おさらい)
安徳天皇と言えば、第81代の天皇。父は高倉天皇、母は平清盛の娘の建礼門院徳子。
祖父は、母方が武士初の太政大臣・平清盛、父方は後白河天皇、、という素晴らしい血筋。
蘇我氏、藤原氏、、、、、朝廷で権力を握った人は「自分の娘を天皇の妃にして、孫を天皇にして皇室と親戚になる」という手を使いますね。平氏もそうしていますね。
安徳天皇は 1180年、3歳で即位し1185年に8歳で壇ノ浦の闘いでこの世を去ります。
ちなみに、安徳天皇が即していた1183年には、後鳥羽天皇も即位して、1183年から1185年のこの期間は、2人の天皇がいて年号も2つあったという非常に珍しい時期です。
※南北朝時代にも同じような事が起きます。
安徳天皇が命を落とした壇ノ浦は、関門海峡にあり、この柳の御所神社があった門司の近くです。
(柳の御所神社)
柳の御所神社の住所が、門司区大里戸ノ上1-11です。先ほども書きましたが、
「大里」は「だいり」と読みます。宮中の「内裏」から由来したものです。
柳の御所=安徳天皇の屋敷=宮中=内裏(だいり)=大里(だいり) となって当時の名残が地名に残っているわけです。
実際に安徳天皇がこの御所に滞在していた期間は、わずか1週間ほどだということです。都から追われ、この地に滞在した安徳天皇やお付きの方々はどんな気持ちで過ごしていたんでしょうか。
天皇がいた御所の跡地としては非常に淋しいものですが、逆に風情を感じたおっさんでした。
<<行き方>>
住所 門司区大里戸ノ上1-11
北九州市と下関市が共同で作成している Comen KANMONのHP
http://www.gururich-kitaq.com/kanmon/detail/index.php?id=6&app=0