都市高速が潜り込む真上に古い掲揚台があった!!
渋谷区の参宮橋の交差点から国立代々木オリンピック青少年センターへ行く道の途中、ちょうど小田急線の参宮橋駅の反対側、首都高速道が地下に潜る場所の真上に、
古い国旗掲揚台を見つけました。長年使われていないようです。
なぜ、あんな場所に国旗掲揚台があるのか?とても気になりました。
(刻まれた文字からわかること)
近づいてみると礎石に文字が書かれています。
右側の礎石に「後援 代々木睦町會」と書かれています。
一方、左側の礎石には「昭和十年二月十一日 後援 山谷町會 代々木明和會建之」の文字が。。
その横面に「皇太子殿下御降誕記念」、さらにその横面には「陸軍大臣林銑十郎」と刻まれています。
昭和10年と言えば1935年、今年が2019年だからざっと85年前。
さすがに85年もの間、風雪にさらされているので石に刻まれた文字も風化・劣化して
読みにくいです。
そこで1つ1つ解読していきます。
「代々木睦町會」・・残念ながらわかりませんでした。
「昭和十年二月十一日 後援山谷町會 代々木明和會建之」
「昭和十年」は1935年です。「建之」は“これをたつ”と読みます。いかにも戦前の表現です。
(調べてみたら他にも「けんのう」「けんし」とも読むそうです。)
当時この辺りは、「山谷」という地名だったらしいです。代々木3丁目はむかしは山谷町という地名だったようです。
「明和會」が何なのかは残念ながら、わかりませんでした。
今も「明和会」という名前の組織が複数ありますが、それが、こちらの「明和會」と
つながるのか、それとも何の関係もない単なる同じ名なのかは不明です。
「皇太子殿下御降誕記念」の文字ですが、この“皇太子”は現在(2019年6月時点)での上皇明仁様(第125代天皇)のことだと思います。
ただし、明仁様が生まれたのは1933年=昭和8年なので、この石に刻まれた“昭和十年”とはズレがあります。ここは推測ですが、お生まれになった後、すくすくと成長されたので昭和10年にこの掲揚台を建てたのでしょうか?
林銑十郎は、1934年(昭和9年)に陸軍大臣になり1937年(昭和12年)には第33代の内閣総理大臣になっています。しかし、その能力・手腕に対しては「なにも、せんじゅうろう内閣」と言われていたそうです。
(この掲揚台が作られた地域と時代背景)
この掲揚台が作られた当時、国鉄原宿駅の西側に「陸軍の代々木練兵場」、北側に「明治神宮」があり、近くには小田急線の参宮橋駅も完成していました。
この掲揚台は、陸軍練兵場内にあり毎朝、日章旗が掲げられていたのでしょうか?
また、この掲揚台が建てられた1935年(昭和10年)には、満州国の皇帝だった宣統帝溥儀が来日し天皇とあっています。
渋谷区役所にこの掲揚台のことを電話で聞きましたが、詳しいことはわからないとのことでした。
かつての陸軍練兵場の地に作られた掲揚台。
石に刻まれた地名や団体も消息がわからず、案内板もない中で、この掲揚台は今日も静かに人々を見つめているようです。
<<「皇太子殿下御降誕記念掲揚台」への行き方>>
小田急線 参宮橋駅下車徒歩10分程度、反対側にぐるっと回り首都高速が潜っている地点の真上です
住所:渋谷区代々木神園町