日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

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新宿の暗渠「柳橋跡」

 

 

 

地下に埋没してしまい地表からは見ることができない水路、川、水溝を

暗渠(あんきょ)といいます。

東京では、1964年の五輪開催にあわせて、小川を地下化する大規模な暗渠作業が進みました。

半世紀以上たった今も大都会東京に残る暗渠を見てきました。

 

(「柳橋」)

今回訪れたのは、新宿区西新宿5丁目にある「柳橋跡」。

 ここには川の名残を残す橋が分断された状態で残っています。

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写真左部分に、分断された橋があるのがわかると思います。

おっさんが立っている橋の奥がかつて川でした。今はコンクリートで覆われています。

 

この橋には「昭和七年九月廿日成」と刻まれています。

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昭和7年は、1932年。満州国が建国された年です。

そのころ、この辺りは淀橋浄水場があったはずです。

 

この柳橋は、36年後の1968年(昭和38年)に行われた東京五輪の整備工事で川の上にフタがされ、暗渠化されるまで地元に親しまれて来ました。

今では、近くには「柳橋畦青年部 柳畦会」が小さな掲示板を掲げ、この柳橋跡の説明をしています。

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その掲示板によりますと・・・

この下を流れる川は、杉並区和泉2-1に流れを発し 渋谷区の笹塚~幡ヶ谷~本町を経由して西新宿五丁目(旧淀橋)から神田川に注ぐ長さ3kmの自然河川です

この川は、「神田川笹塚支流」という小さな川で、渋谷区では「神田川笹塚支流」、

杉並区では「和泉川」とも呼ばれていました。

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新宿区には、この「淀橋」以外にも欄干の真ん中が切断された当時の橋の跡を見ることができます。

 

 

【暗渠(あんきょ)とは】

昭和30年代、都市化・宅地化が進む中、下水道の整備が追かなかったため大量の生活排水が小川に流れ込みドブ川化し悪臭を放つことが相次ぎました。

そのため東京では1964年(昭和3年)の東京五輪にあわせて東京の街を都市化する目的で整備が進み、どぶ川や小川の暗渠化が進みました。

 

以前紹介した渋谷区にある「♪春の小川」の歌碑がある場所も暗渠です。

かつて、その一帯は田園地帯で宇田川の支流・河骨川(こうぼねがわ)が流れていました。

 

1963(昭和38)年頃には、神田川笹塚支流は、すべて暗渠化されました。

今でも、今回紹介した「柳橋跡」のように、川がないのに欄干が残っている場所が

ところどころあります。

これは、かつて川が流れていたの名残で、この地下に暗渠がある証拠です。

 

「人間の都合で自然の川に蓋をして地下にしてしまう」凄い発想です。

 

分断された「柳橋」の周辺には今も昭和の面影が残る建物があります。

さらにその奥に見える都庁・・その対比になぜか切ない思いがした、おっさんでした。

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<<柳橋跡への行き方>>

丸の内線 中野坂上駅徒歩10分

住所:新宿区西新宿5丁目18,22,23