日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

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2月20日 歌舞伎発祥の日

 

2月20日は「歌舞伎発祥の日」です。

江戸時代初期の1607(慶長12)年のこの日、出雲阿国江戸城で初代将軍の徳川家康や諸国の大名の前で初めて歌舞伎踊りを披露しました。

それを記念して「歌舞伎発祥の日」となっています。

 

出雲 阿国(いずもの おくに)は、女性で「かぶき踊り」を創始した人で、このかぶき踊りが現在の歌舞伎になったと言われています。

出雲阿国の歌舞伎踊りは、やがて江戸を中心に大人気となります。

 

 

 

f:id:reiwa00502:20200218222617p:plain1624年(寛永元年)に初代中村勘三郎日本橋と京橋の中間にある中橋南地で
櫓(やぐら)を建て「猿若座」を起こしたことから、江戸歌舞伎が始まります。「猿若座」は、その後、「中村座」に改称されますが、観客を呼びこむために櫓(やぐら)で叩く太鼓の音が、江戸城の武士たちが登城するときの合図である櫓太鼓と似ていて混乱するという理由で、堺町(今の人形町)へと移転します。

江戸時代当時は、今と違い娯楽が少なく限られていたために、歌舞伎は娯楽として大人気となりました。

 

(銀座・京橋に「江戸歌舞伎発祥の地碑」)

 東京の銀座・京橋、東京メトロ京橋駅から徒歩2分ほど南に歩いた首都高速道路の下には、「江戸歌舞伎発祥の地」の大きな石碑があります。

下の写真の赤で囲んだ部分です。

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 江戸歌舞伎発祥の石碑は、1957年(昭和32年)に建立されました。f:id:reiwa00502:20191002144349p:plain

 碑には、勘亭流による「江戸歌舞伎発祥の地」の文字と歌舞伎を演じる役者のレリーフがあります。

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碑の中央上部には「隅切銀杏」紋があり、これは「中村屋」の家紋です。

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(歌舞伎が日本橋で大人気となった背景)

江戸時代の江戸は将軍のおひざ元、しかもその江戸の中心は「日本橋」でした。

日本橋は、五街道の出発地、さらに水運も発達していたため、陸路や海路で全国各地から人や物の交流・行き来があり、商業・文化の一大中心地として大発展し、日本中からさまざまな文化・技術が結集しました。

 

 歌舞伎や人形浄瑠璃などの演芸の上演は、江戸幕府により、現在の日本橋人形町」界隈にある堺町、葦屋町、木挽町の3町に限られていました。その地域に演劇場が集中していたのです。

そのため、「ここでしか見ることができない」という希少性、限定性が人気となり、

この地区は賑わいを見せました。

江戸歌舞伎は、「中村座」、「市村座」、「森田座」、「山村座」が登場して、

成長を遂げ発展し、市川団十郎、市川団蔵、岩井半四郎尾上菊五郎 などのスターが

登場します。

 

 そして1889年(明治22年)には、銀座に歌舞伎専門の劇場となる歌舞伎座が誕生します。

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(歌舞伎に由来するもの)

江戸時代の庶民に大人気となった歌舞伎。その歌舞伎から生まれ、今も伝わっているものがあります。

その1つが「幕ノ内弁当」。昼に客が食べる弁当ですが、これが幕間に食べるので「幕の内」弁当と呼ばれました。

歌舞伎十八番の演目である『助六』。これにちなんでつけられたのが「助六寿司」です。

得意のことは「十八番」と書いて「おはこ」と呼びますが、これも歌舞伎に由来します。「板につく」「千両役者」「捨て台詞」「花道」「幕引き」「見せ場」「黒幕」「裏方」・・・歌舞伎から生まれ日常生活で使う言葉は色々あります。

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 江戸歌舞伎発祥の地碑についての歌舞伎座の公式HP】

 

<<江戸歌舞伎発祥の地への行き方>>

東京メトロ京橋駅から徒歩2分ほど南に歩いた首都高速道路の下

住所:住所東京都中央区京橋3-4