5月23日は、
江戸時代、「生類憐みの令」の流れで、
江戸の大久保と四谷に犬小屋がつくられた日です。
国を治める人は時として「これは何なの??」という法律を作ることがあります。
そのもっとも代表たるものが江戸時代に5代将軍徳川綱吉が出した生類憐みの令だと
思います。
日曜大工のおとうちゃんではあるまいし、幕府が多額のお金を費やし、大掛かりで膨大な犬小屋を作り、たくさんの犬を飼育し食事を提供していたんです。
まったく「これは何ですか?」と首をひねりたくなりますよね。
(犬小屋は江戸に4か所)
当初犬小屋は、現在の東京都の世田谷区にあった御用人・喜多見重政の屋敷に作られ、ここでは主に病気の犬を養っていました。
その後、江戸幕府が、大久保・四谷・中野に犬小屋を新設します。
この3つの犬小屋は飼い主がいない野良犬の飼育が中心でした。
犬小屋の広さは、中野は16万坪、大久保がおよそ2万5000坪、四谷の犬小屋は1万8928坪7合でした。犬小屋は「御用屋敷」「御囲(おかこい)」「御犬囲」とも呼ばれました。
特に中野に造られた犬小屋は大規模のために「中野御用御屋敷」と呼ばれたそうです。また犬小屋奉行なる役職まで登場します。
おっさんは、かつてJR中野駅前に造られたという「中野御用御屋敷」の跡地に行きました。ここには犬の像がありました。
【中野の犬屋敷「中野御用御屋敷」について書いたブログはココ】
(生類憐みの令は、数々の「お触れ」の総称)
ここでよく勘違いするのは、生類憐れみの令は、1つの法律ではありません。
綱吉時代の元禄期に出された多数のお触れの総称です。最初は、そんなに大したもんではありませんでしたが、中身が段々エスカレートしてきました。
また生類憐みの令は「犬」だけが対象と思われますが、犬だけではなく、猫や鳥、さらには魚類貝類、昆虫にまで,その殺生を禁じた無茶苦茶な法律です。
なお、この一連の生類憐みの令は、綱吉が死去し、家宣が将軍になると、すぐに廃止されます。当たり前ですよね。
というわけで、5月23日は、江戸時代、
「生類憐みの令」の流れで、
江戸の大久保と四谷に犬小屋がつくられた日でした。