9月8日 一世一元の詔(いっせい いちげんの みことのり)が発せられました。
なにやら難しい表現ですが、簡単に説明しますと
「天皇が即位して崩御するまで間、つまり天皇の一代の時は、元号は1つだけにする」という決まりです。
公家の岩倉具視が主張し、1869年(明治元年)9月8日に、行政官布告第1号によって
この一世一元の制が導入されました
つまり明治の年号の時は明治天皇、大正の年号の時は大正天皇。。というわけです。
(ただし天皇が崩御されたときに、あとからその元号の名前をとって「〇〇天皇」と
(昔は頻繁に年号を変えていた時期も・・)
日本初の年号は645年の「大化」です。以後、今まで1500年近く年号が続いてきました。
しかし、この一世一元の詔が発せられる以前は、彗星が接近したら不吉なので改元するとか、戦乱が長引くから気分一新で改元するとかいう理由で、災害や戦乱などが起きるとそれを機に、元号を変えていました。1年に数回年号が変わったこともあります。
しかし、それではあまりに軽すぎるということで1869年(慶応4年)9月8日を、改めて
「明治元年」とし、同時に、天皇一代につき元号も一つにするという事を定めました。
(年号豆知識)
現在の年号は令和です。これは初代の「大化」から数えると何番目になるでしょうか?
ご存じのように日本では室町時代初期の1336年から1392年までの57年間は南北朝時代で、それぞれ南朝・北朝とも別々の天皇を立て別々の年号を使用していました。
そこで、 南北朝時代の2つの年号を合算して数えと、「令和」までで248個になります。
そのうち 1番長い年号は「昭和」で62年14日。
逆に1番短いのは、鎌倉時代に1238年末から翌39年に使用された歴仁(りゃくにん)で74日。
なお、年をまたがないで、その年のうちに改元された最短の元号は、天平感宝(てんぴょう かんぽう)で奈良時代の749年4月14日から7月2日までです。
また、その地域で独自にできた私年号もあります。
幕末に奥羽越列藩同盟が使用した「大政」という私年号があります。
1869年の旧暦6月から9月あたりまで、一部地域で使用されたと思われています。
【奥羽越列藩同盟の東武天皇擁立について書いたブログはココです】
ということで9月8日は
一世一元の詔が発せられた日です。