日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡ります。みんなも旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。現在進行形のサクセス「ブログ」を書いて、充実した人生を目指します!

3月24日 壇ノ浦の戦い(源平合戦最終章)

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3月24日は、

平安時代末期の1185年に

源氏と平氏の最後の戦いが

関門海峡・壇ノ浦で繰り広げられた日です。

 

 本州と九州との間にある関門海峡。この一帯が壇ノ浦です。

この一番狭い地域は、およそ600メートルで、「早鞆の瀬(はやとものせ)」と呼ばれています。

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ここで、平安時代末期の1185年3月24日、源氏と平氏の最後の戦いが行われました。壇ノ浦の戦いです。これで、平氏が敗れ滅亡します。

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左が有名な 壇ノ浦「義経八双飛び」。 奥に見える海が、壇ノ浦。

山口県下関市のみもすそ川公園)

 

(壇ノ浦の闘いにいたるまでの簡単な流れ

1181年に武士として初めて太政大臣になった平清盛が死亡します。

それと同時に各地でくすぶっていた反平氏の動きが起きてきます。

1183年、木曽義仲源頼朝のいとこ)が京に攻め入り平氏を追放します。

平氏は、平清盛の孫の安徳天皇と、三種の神器を持ったまま西に逃げます。

そして九州は福岡県北九州市門司区に御所を作り、そこに滞在します。

ここは、現在は、柳の御所神社となっています。

また周辺は、宮中にちなんで内裏(だいり)と呼ばれています。

のちに漢字の表記だけ「大里」に変更され、今も地名が「だいり」で残っています。

 

平家を追放し京都に入った木曽義仲ですが、京での行いが粗暴なために、後白河法皇の反感を買い、結局、源頼朝の異母弟、源範頼義経連合軍に滅ぼされます。

この源氏のいとこ同士の争いの間に、平氏は勢力を回復し福原に戻り、京都奪還を

うかがいます。

 

1184年、後白河法皇源頼朝平氏追討令という勅令を下します。

また、この年の7月、後白河法皇安徳天皇がいるにもかかわらず、後白河法皇の孫で安徳天皇の異母弟の尊成親王三種の神器がないまま即位させ、後鳥羽天皇にします。

安徳天皇が退位しないまま後鳥羽天皇が即位したため1183年から平家滅亡の1185年

までは、日本史上初めて天皇が2人在位し重複するという期間が生まれます。

(このように天皇が2人になる時期は、南北朝時代にも起きます)

 

兵庫県の神戸市周辺で行われた「一之谷の戦い」さらには、香川県高松市周辺で行われた「屋島の合戦」でもやぶれ、平家一門は長門の国(現在の山口県)の彦島に移動します。

そして、1185年、3月24日、源平最終決戦としての九州と本州の間にある長門の国壇ノ浦での海上決戦を迎えます。

 

壇ノ浦の戦い

壇ノ浦の戦い

源平双方の大将は源氏側が源義経鎌倉幕府を開いた源頼朝の異母弟)と平氏側が平知盛太政大臣平清盛の息子)です。

 平家は強力な水軍を持っていたため船の扱いには一日の長があり序盤は優勢でしたが、途中で潮の流れが変わり、その流れを有効活用した義経軍が有利になり、次第に

平家軍は圧倒されていきます。

 

 平家の惨敗が確実となったとき、安徳天皇の祖母で平清盛の妻の二位尼は、安徳天皇を抱きかかえ、三種の神器のうちの天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)と八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を身につけ入水します。

そして安徳天皇はわずか8歳で死亡します。

壇ノ浦で亡くなった安徳天皇は、この近くの赤間神宮に祀られています。

 

この壇ノ浦の戦いで、平家の最高の象徴であった安徳天皇はなくなり、平家の武将たちも次々と戦死、あるいは捕まり平家軍大敗北、滅亡となります。

安徳天皇を祀る赤間神宮にはこの壇ノ浦で滅亡した平家一門の墓があります。

赤間神宮にある平家一門の墓について書いたブログはココ】

 【耳なし芳一平氏との関係を書いたブログはココ】


※余談ですが、おばあさんとはいえ民間人の平氏が「天皇を抱えて心中する」!!

よく考えるととんでもないことです!!

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壇ノ浦の戦いで、安徳天皇は実は死んでなく生き延びたという話は各地にあります。 

安徳天皇が生き延びたという福岡・小倉の伝承地について書いたブログはココ】

安徳天皇の家族関係について書いたブログはココ】

 

 (「みもすそ川公園」名前の由来)

現在、「義経八双飛び」の記念像や「安徳帝入水の地」の石碑は、関門海峡に面した

山口県下関市のみもすそ川公園にあります。

 「みもすそ川公園」には川が流れてなく、海に面しているのに、なぜ公園の名前に川がついているのか疑問に思いませんか?

  実は壇ノ浦の戦い安徳天皇と一緒に海に身を投げた二位ノ尼(清盛の妻、安徳天皇のおばあさん)が読んだ辞世の句「今ぞ知る  みもすそ川の御ながれ  波の下にも 都ありとは」に由来します。

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この石碑にも名前の由来の二位尼の歌が。。

  みもすそ川は、平清盛と大きな関係がある伊勢神宮内宮の神域を流れる五十鈴川(いすずがわ)の別名です。

 

 

源平合戦を制した源氏は、源頼朝による鎌倉幕府の開幕へと動いていきます。 

 日本史史上大きな節目となった戦いが行われた関門海峡の壇ノ浦。

みもすそ川公園のすぐ横には、歩いて本州から九州に行ける、関門人道トンネルもあります。

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人道トンネル下関口を出るとすぐ「みもすそ川公園」

【本州ー九州と歩いて渡れる関門人道トンネルについて書いたブログ】

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壇ノ浦に足を運び

かつて、この海で歴史を左右する

大きな戦いがあったんだなあと、

しみじみ感じましょう!!

 

山口県観光連盟のHPより】

 

下関市公式HP】

<<みもすそ川公園への行き方>>

下関駅からサンデン交通バス長府・小月方面行で約12分、「御裳川」バス停下車

住所:山口県下関市みもすそ川町1

 【この地図の左下にある四角い写真をクリックすると航空写真に変わります。

地図上のルートを押すと道案内をしてくれます】

 

3月24日は

壇ノ浦の戦いが起きた日です!!

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