3月3日は桃の節句、
豪華なひな祭りが飾られているというので
見てきました。
このひな人形は、長崎街道の宿場町として栄えた福岡県北九州市八幡西区の木屋瀬(こやのせ)にある豪商のお宅で展示されていました。
(西洋文明のルート・長崎街道)
江戸時代、主要道路として五街道と脇街道があり、長崎街道は九州唯一の脇街道でした。
長崎街道は、鎖国時代の日本で、西洋のオランダとの窓口だった長崎出島と江戸とを結ぶ街道で、ここは西洋の文化や新しい技術などを国内に伝える文明の道でした。
この街道を通って、オランダを中心とした欧州の文化や芸術、さらに将軍吉宗に献上された象などが江戸に向けて運ばれました。
また参勤交代の大名一行もこの道を通りました。
長崎街道は全長57里(約240㎞)で25ヶ所の宿場があり、このうち福岡藩内の黒崎、木屋瀬、飯塚、内野、山家、原田の各宿は筑前六宿と呼ばれ栄えました。
(長崎街道の宿場町・木屋瀬)
木屋瀬(こやのせ)は、その長崎街道にある宿場町で、宿場の門である東構口(黒崎口)と西構口(飯塚口)が設けられ両構口に囲まれた宿場には本陣、脇本陣、さらに1旅籠が14、5軒ありました。
木屋瀬宿の宿場は東構口から西構口までの街道は一本道で本陣付近で「く」の字に曲がり、家並みはのこぎり歯状に建てられていました。これは、「矢止め」と呼ばれるもので、敵が攻めてきたときにそのくぼみに隠れ攻撃するためにこのような配置になりました。
すぐ近くには遠賀川が流れていて、水運も盛んでした。
水運と街道で木屋瀬は発展していきました。
この木屋瀬の地名は、かつて近隣の寺社再建のための材木が川辺に「小屋がけ」で集められたこと由来します。
(旧高崎家)
豪華な雛人形が飾られているのは長崎街道に面した旧高崎家です。
旧高崎家は、御覧のような立派な作りの大きな屋敷です。この建物の建築年代は2階梁に残された墨書銘などから1835年と考えられます。
旧高崎家は江戸時代末期には絞蝋業、明治初期は醤油醸造業を営む商家でした。
絞蝋業とは「こうろうぎょう」と読みます。生蝋(きろう)の製造、すなわち、「はぜ」(うるし科)の実の薄い外皮に含まれた中果皮を圧搾あるいは抽出して得られる植物性油脂でのことで、 採取した蝋(ろう)を搾ってそのまま冷却して固めたものを「生蝋」(きろう・しょうろう)と呼びます。
生蝋は、なじみが薄いかもしれませんが、ろうそくの原料です。
現在と違い電気がない時代には、夜間の照明には蠟を使っていました。また、生蝋は、
ロウソクだけでなく、艶出し剤、膏薬などの医薬品や化粧品の原料、ろうけつ染めなどの染色材料、力士の髷を整えるための鬢付け油として用いられています。
そのため蝋は生活必需品でした。
(約600体のひな人形が勢揃い)
今回、展示されたひな人形は、財をなした豪商が愛用したものや寄贈されたもの600体ほどです。
中には江戸時代のものもありました。
こちらは、珍しい屋根があるひな飾り。
<3月26日まで無料公開中>
この、ひな人形は2023年(令和5年)2月11日(土:祝)から3月26日(日)まで旧高崎家で入場無料で公開されています。
開館時間:10時~16時30分
休館日:月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日が休館)
住所:北九州市八幡西区木屋瀬四丁目12番5号
JR筑前植木駅から徒歩25分程度
鮮やかで艶やかなひな人形。。
みやびなり!