日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

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安土城に行ったよおお!!

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おっさんが1度は行きたいなあと思っていた城、

織田信長が標高199mの安土山に築城した安土城です。

 

(安土が選ばれたのは・・・)

信長が安土を選んだのは、水の利と地の利だと考えられています。

当時の琵琶湖はまだ干拓が進んでおらず、現在よりも広く安土城が琵琶湖に突き出す形になっていたそうです。

そのため琵琶湖の水運を利用して京都に出るのに便利で、中山道北陸道にも通じていた好立地の場所でした。

 

(いざ、安土城に!!)

安土城は、JR安土駅から北東に30分くらい歩いた場所にあります。

安土城織田信長が1576年から約3年かけて完成させました。しかし信長が倒れた本能寺の変後、焼失して今は石垣だけが残っています。

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(安土城に登る前に・・)

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安土城は上まで行くのに結構、山道を歩きます。石段が続く大手道から登っていきますが、戻ってくるまでだいたい1時間から1時間半くらいかかります。

安土城跡にはトイレがないので、麓にある城なび館で済ませておきましょう。

これ非常に大事ですよ!!

 

(大手道)

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安土城の大手道は特徴的です。

 戦国時代の城の大手道は、敵が攻めてきたときのことを考え、曲がりくねった道を作りカーブのところで攻撃するなど戦略的な意味を考えています。

しかし、ここ安土城の大手道は、幅6~7mのまっすぐした道です。

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この石段には石仏も石材として使われています。

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説明書きを拡大すると・・。

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宗教や信仰に重きを置いていなかった信長の性格がわかります。

 

(家臣の屋敷跡伝)

大手道の両脇には家臣の伝屋敷跡が残ります。

まず安土城を登る最初の橋には、左側が、上下2段に分かれた郭で構成されている

羽柴秀吉邸跡があります。

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羽柴秀吉の館、だいぶ広かったようです。

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その右側には、伝前田利家邸跡があります。

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この配置、敵の侵攻に対し最初に秀吉と利家で固めていたと推測できます。

 

(二の丸跡)

けっこう歩くと二の丸跡が見えてきます。

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二の丸跡には豊臣秀吉が1583年2月に建立した織田信長公本廟があります。

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ここに信長ゆかりの太刀、烏帽子、直垂などの遺愛品を埋葬して本廟としました。

そして六月二日の一周忌には、織田一族や家臣を集め、盛大に法要を行なっています。そのため現在は、毎年六月二日には信長忌として、摠見寺(仮本堂)にて法要を行なっています。

 

(本丸跡)

天守台から少し降りた本丸御殿跡。「信長公記」によればこの建物には天皇を招き入れる「御幸の間」があったと記載されています。

ということは信長がその上にある天守にいたのだから、信長は天皇を見おろす形をとっていたのです、おそろしや・・

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天守・・信長が暮らしていたところ)

本丸から天守へは石の階段を登ります。

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ルイス・フロイスの「日本史」や信長の家臣だった太田牛一の「安土日記」によると、安土城は地下1階、地上6階の6階建てで、その高さは35m程だったそうです。

城の外観は、階層ごとに壁が塗り分けられていて、黒い漆塗りの窓が配された白壁の層や、赤く塗られた層、青く塗られた層がありました。そして最上階は金色になっていたそうです。


天守シャチホコを置いたのも信長が始まりと言われています。

このように戦闘用の城というより「豪華なおうち」の印象が強いです。

 

建物はありませんが、礎石が残っていました。規則正しい配列です。

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天守台からの眺め。 遠くには琵琶湖が見えます。

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(摠見寺跡)

天主をあとにして摠見寺跡へ。摠見寺は信長が建立した寺で、天主と城下町を結ぶ道の途中にありました。

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下は摠見寺の仁王門です。

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安土城址・摠見寺公式HP】


<<安土城に行くには>>
時間:午前8時半~17時(入場受付最終16時)
料金:大人700円、小人200円(高校生以下)

 

JR琵琶湖線 「安土」 下車 徒歩 25分

住所:滋賀県近江八幡市安土町下豊浦

 

安土城に行き上まで登り 

天下人気分を味わいましょう!!

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