日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

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270メートルの洞窟に600人以上がいた糸満アブチラガマ

沖縄戦のときに、
住民が避難したり病院の分室が置かれたガマの中に入り
見ることができます。糸満市にあるアブチラガマです。

糸満市にあるアブチラガマ)
アブチラガマは沖縄本島南部の南城市玉城字糸数(なんじょうし・たまぐすく・あざいとかず)にある長さ270mの自然洞窟です。
沖縄の言葉で、アブ=深い、チラ=がけ という意味です。

沖縄戦当初は、糸数集落の人たちが避難した壕でしたが、やがて日本軍の陣地壕や倉庫として使用されます。
さらに、戦場が南下するにつれて南風原陸軍病院の分室となり、全長270mのガマ内は600人以上の負傷兵で埋め尽くされました。
ここでは、ひめゆり部隊も看護助手活動や排便の処理をおこなっていました。
1945年(昭和20年)5月25日に出た南部搬退命令により病院が搬退したあとは、糸数の
住民と生き残り負傷兵や日本兵の雑居状態となりました。

(糸満アブチラガマは中に入れる)
糸満アブチラガマは、中に入ることができます。
入壕チケットは、南部管区総合案内センターで購入します。入壕料金は、個人の場合は大人250円、小人100円です。このときにヘルメットも借ります。
またガマの内部は真っ暗なので、懐中電灯は必要です。自分で用意するか、ない場合は100円で貸し出しています。

また壕の内部を見学する場合には、ガイドが必要となっています。ガイド料は1,000円からです。

センターでチケットを購入したら、アブチラガマに入りますが、センターからけっこう歩きます。ガマの入り口には案内板があります。

(アブチラガマ内は撮影禁止)
アブチラガマの中は撮影禁止ですので、内部の様子はイメージです。

糸数アブチラガマの入り口には狭く急な階段です。中は、深い闇に包まれた自然洞窟真で、鍾乳洞の中にいる感じがします。

下は案内板に書かれていたアブチラガマの内部の様子です。配置がわかると思いますが、小さいので拡大して見て下さい。

ガマの内部は広く、ここには川が流れたり、発電機なども持ち込まれました。
軍専用の慰安所と思われる場所もあったそうです。軍人は安全な一番奥の部分を利用し、住民は出入口付近の危険な部分を利用していたそうです。

洞窟内には食料備蓄や地下水もあり、当時使用したと思われる茶碗のかけらなどが今も残っていました。
ガイドの説明を受けながら当時の様子についての体験についても知ることができました。
このガマでは、米軍の火炎放射や空襲などで多数の住民死者を出しています。

糸満アブチラガマの出口付近には慰霊碑もありました。

(投降)

1945年(昭和20年)8月22日、米軍によるの投降勧告を受けて、このガマにとり残されていた住民と負傷兵がガマを出ます。

 <<アブラチガマへの行き方>>

公式HP👇

車で行きましょう

住所:沖縄県南城市玉城糸数667-1

年末年始休業

入壕料(大人):250 円  事前予約必要

入壕料(小人):100 円

 

アブチラガマ、是非足を運んで下さい。

こんなに暗くて、じめじめした場所で
過ごしていたという事を体験して下さい。